詩篇119:143.144
119:143 苦難と窮乏とが私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは、私の喜びです。
119:144 あなたのさとしは、とこしえに義です。私に悟りを与えて、私を生かしてください。
悟りを与えてください
詩篇詩人の願いを見ることができます。その願いは「悟りを与えて、私を生かしてください。」でした。この聖句の「悟り」は詩篇 119篇の中には七回出て来ます。その中の三箇所から詩篇詩人は、どんなことを悟ることができるようにと願ったのでしょう。この点に的を絞って見ることにいたしましょう。
1、創造者を意識する願いでした。詩篇 119:73 あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください。
詩篇詩人は自分が生かされている存在であることを認めています。しかも神の力強い御手を意識していたのでした。つまり自分の存在原因である創造者を意識していたのです。その手の中にある限り、間違いの無い生活ができることを理解することができるように「悟りを与えて」くださいと願ったのでした。
私たちにとっても、創造者の恵みによって生かされていることを知り悟ることは大切なことです。自分自身が全能者の手の中にあることを知り悟る時、確かな平安を持つことができるのです。キリスト者であることの恵みは、聖歌 476番の折り返しに "すべて安し、み神共にませば" と繰り返されています。聖歌の作者は、神による確かな平安を持ちました。だから、かく歌うことができたのです。これは私たちにも与えられることです。
2、みことばを意識する願いでした。詩篇 119:130 みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。
ここに詩篇詩人の確信を見ることができます。ちょうど真っ暗な部屋に閉じこめられた時に、戸が開けられたとか電気が通じて光を得た時のことに当てはまります。
真っ暗な部屋の中に光が差し込むと暗闇は一瞬にしてなくなります。同時に暗黒の恐怖も消えてしまいます。人は誰でも暗黒の中に閉じこめられる時、不安と恐怖におびえます。
詩篇詩人は、神のみことばの支えが無い時、不安と恐怖があることを告白しています。しかし「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」と確信しているのです。
私たち人には恐れが渦巻いています。それは収益を上げることができない恐れだったり、健康に対する恐怖だったり、政治への恐怖だったり、戦争への恐怖だったりいたします。
以前、カネボウ製薬の重役、三谷康人氏は、(イザヤ書 41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。)とある聖句によって力づけられビジネスの勝利を得たと証言していました。出世を期待しないで生きはじめた時、自分にも喜びがあり、お客さんも喜び、共に働く人たちも喜んでいる、と言っていました。
聖句によって恐れが取り除かれた生活をしている間に重役になってしまったと言っていました。
みことばの支えの勝利と見ることができます。聖歌 500番の「みことばなる」に
(みことばなる 光のうち 主と共にあゆまば 行く道すじ照らしたまわん より頼む我らに げに主はより頼みて従うものを恵み給わん)と歌われ、みことばの恵みが見事に表現されています。
3、御前に近づきたい願いでした。詩篇 119:169 私の叫びが御前に近づきますように。主よ。みことばのとおりに、私に悟りを与えてください。
「私の叫びが御前に近づきますように。」と言うのは "祈り" と理解してよいでしよう。祈りの中で神に近づいていきたいという願いです。ただ神への願いごとをする祈りとは違う神との交わりを強く願っているのです。
神の前に近づいていきますと「みことばのとおりに、私に悟りを与えてください。」「主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。」(詩篇
119:107) という祈りになるのですね。
聖歌 591番の「恐れなく近よれ」でファニークロスビーは、神に近づく祈りがどれほど祝福に満ちたものであるかを歌っています。(ご存知の方は歌って見てください。)そこに悟りを与えていただく、願いが答えられる恵みを見ることができます。
日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
富 澤
誠 治