詩篇22:4.5
22:4 私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。
22:5 彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。
信頼の祝福
ここでは "信頼の祝福が「恥じを見ませんでした。」" とされています。ここに祝福があるのです。主なる神に信頼して恥じとなるようなことは無いというのです。しかも、この箇所の文字の「信頼」と「恥じを見ませんでした」はヘブル語では同じです。詩篇詩人がいかに神への信頼が素晴らしいものかを明らかにしているのです。
1、信頼の祝福は過去の事実によります。 詩篇22:4.5
イスラエルの歴史をたどる時、その多くは不信仰な歴史です。しかしそうした中でキラリと光る信仰を持った時のことが記されています。ユダの王ヒゼキヤの時代がそれです。当時は外国の恐怖にさらされていました。そうした中でヒゼキヤと当時の人々は神への信頼に生きたのです。列王記第二18:1〜6
(ご自分の聖書で確認してください。)
詩篇詩人の時代も、ヒゼキヤの時代もエジプトから救い出された先祖の時代のモーセに見習って神への信頼を厚くしたのでした。その先祖の神への信頼を教訓として歌っていると見ることができます。事実「助けだされました。」は "逃がす" 意味があるのです。神はエジプトの労役から逃がしてくださったのです。そしてシナイ砂漠での訓練を経てカナンへと進んだのです。詩篇はカナンで王国が成立した時代です。周囲に敵なしと思われる繁栄の時代の中で神への信頼がいかに大切なことかを知ることができます。
2、信頼の祝福はイエスを主と告白することによってもたらされます。 ローマ10:9〜12 (ご自分の聖書で確認してください。) 信頼の祝福は「イエスを主と告白」することでした。パウロはかつてキリスト教徒を迫害する者でした。「イエスを主と告白」することは考えられないことだったのです。そのパウロがキリスト教徒となりました。今は伝道者として活躍しています。人々にイエスは主キリストであることを明確に示しているのです。かつては迫害者であったパウロは今は迫害を受ける身になっています。そうした中で神への信頼は祝福そのものであることを(ローマ人への手紙10:11
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。)と言っています。つまりパウロには神への信頼が確かであったのです。
私たちも「彼に(神に)信頼する者は、失望させられることがない。」と言われた聖句にどれほど多くの人が励まされ信仰に立って生活したことでしよう。人ごとではなく私が神への信頼に生きる時、聖句の信頼性が確かにされるのです。(ヨシュア記21:45主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。)と証言されていることは真実です。
信仰生活の中では困難も喜びも経験します。聖書によって神の約束を信じて生き、約束されたことが実現した時の喜びは大きなものです。神の真実を知って感謝するのです。神をたたえるのです。
3、信頼の祝福はキリストのよみがえりの希望によって確かにされます。 (エペソ人への手紙 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。)
最も大きな信頼の祝福は天国に通じる祝福です。人生は地上だけと考えている人にはわからないことです。キリストが死を打ち破って復活されたことを信じて希望に輝くのです。勝利に輝くのです。
天の祝福を意識すると地上の生活も"地に足がつく" つまり確かな生活をするようになるのです。信頼する祝福は天の祝福を望み見ながら地上の生活を大切に生きるのです。これがキリスト信仰「信頼」に生きる者の真実な姿です。希望です。輝きです。勝利です。確かさです。
日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
富 澤 誠
治