| 誌上礼拝 2012年 1月 「心を尽くして」 |
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| 聖書の言葉 箴言3:5-6. 3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。 3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。 心を尽くして 「心を尽くして」という言葉は聖書の中に23回登場します。旧約聖書の一番初めは(Ⅰサムエル7:3 「心を尽くして主に帰り」)です。最後は(エレミヤ29:13 「心を尽くしてわたしを捜し求める」)です。新約聖書では、(マタイ22:37.38 「心を尽くして神と人を愛する」)はよく知られています。箴言に登場する「心を尽くして」は神に対してどうあるべきかが語られていて箴言 3:5.6 です。私たちが神に対して心を尽くすことは何なんでしょう。 1、 神に対して心を尽くすことは神の愛に応えることです。 Ⅰヨハネ4:16 神は愛です。とあるのはよく知られている言葉です。人々が教会に訪れて始めに知ることは、”私を愛してくださる神”ということです。確かに聖書を読むと神は人の罪を憎まれますが人が救いにあずかるために愛をもって近づいてくださいます。あたかも親鳥が雛を自分の羽の中に包み込むような感じです。その愛はイエスさまの十字架にあらわされているのです。イエスの十字架によって私もあなたも神の愛の中を歩むことができるようにしてくださったのです。 大阪におられるSさんは満州からの引き上げ者です。その引き上げの時に見た光景は、子供や老人が置き去りにされる様子でした。それがきっかけでイエスさまの愛を知ったのでした。イエスさまは置き去りにされるお方ではないことを知ったのでした。それ以来神に対して心を尽くす生き方をしておられ、愛されていることを感謝しておられました。 生涯かけ、命をかけて心を尽くすことってあるのでしょうか。 2、 神に対して心を尽くすことは迷わないためです。 線路を走る列車は必ず目的地へ行きます。人が神に対して心を尽くすのは軌道の上にいるようです。軌道の上にいる限り迷うことはありません。しかし、 私の住んでいるマンションの庭で育つ水仙は環境が良過ぎるのか花の茎が伸びすぎて倒れてしまいます。しかしフェンスに支えられた茎は倒れることなく見事な花を咲かせます。それを見て "もたれかかっていいんだ。" "イエスさまはもたれかかることを喜んでくださる" ことに気がついたのでした。"「心を尽くして主に拠り頼」む者は迷わない" ことに気がついたのでした。 3、 神に対して心を尽くすことは自分の祝福となります。 イエス様が弟子たちを二人一組で伝道に遣わされたことの中に見ることができます。(ルカ9:3 イエスは、こう言われた。「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。) と(ルカ22:35 それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」) です。イエス様は弟子たちに「何か困ったことがあったか」といっています。弟子たちは「いいえ、何もありませんでした」と答えています。 これは私たちにも当てはめることができます。弟子たちと同じように「いいえ、何もありませんでした」と答えることとなるのです。それが祝福であり心を尽くして主に信頼することから起こるものです。自分が祝福されると他を祝福する生き方をするようになるのです。
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