誌上礼拝
2011年 12月 受胎告知
聖書の言葉

ルカの福音書 1:26-38 

 1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。

 1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

 1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

 1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

 1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。

 1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

 1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

 1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」

 1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

 1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

 1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。

 1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」

 1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

受胎告知

  マリヤは、救い主を生み出す女として選ばれました。これは女性にとって世界でたった一人の大きな出来事した

 歴史を紐解くと世界に偉大な指導者が出現しま。しかし世界を救う指導者はありません。マリヤが生みましたイエスは世界の救い主です。

  マリヤは選ばれたこと、どんな心を持って受け止めたのでしょう。

1、「ひどくとまどって」 ルカ1:29 とあります。

  マリヤは神の選びの告知を受けた時、戸惑ってしまったのです。それは、「恵まれた方」:28 と言われた時の心境でした。しかも(ルカ 1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。 1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。の言葉を聞いては、女性としては戸惑わないでおられないでしょう。マリヤの心境が分かります。

  私たちも戸惑いを経験することがあります。(アフリカザンビアからのダム工学を学ぶ留学生に尋ねました。嬉しいことは何ですか、それは教会での交わりです。苦しいことは何ですか、言葉が通じない時と答えましたそして私の質問にとまどったそうです。)私たちは

嬉しい時に、

苦しい時に、戸惑うものです。

 2008年から「看取り」について学び、取り組み始めました。2011年は二人の方を看取ることとなりました。お一人は "一番大きいのは愛ですと言葉を家族に残されて召されました。もう一人は訪問すると呻きのような声を出されました。苦しいのかとナースコールをしました。看護師さんは私たちの言葉ですがこれは伸吟でして呼吸困難ではありませんよと説明されて戸惑いが消えました。召された方の次男さんは父は無趣味な人と思っていました。違いました。聖書を読むこと礼拝へ行くことは最高の喜びでしたと話された言葉は忘れられません。病人の病床訪問には戸惑いが付き物でしょう。戸惑いがなくなると病床訪問も苦痛ではなくなりますね。

2、「どうしてそのようなことになりえましょう ルカ 1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」と言 ったのは、

 「あなたはみごもって、男の子を生みます。:31 と言われた時の心境です。結婚していない女が妊娠することは、当時石打ちの死刑に当たる罪でした。

  マリヤにとっては、とんでもないことだったのです。だから(ルカ 1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」)と言ったのです。

 マリヤの時代は現在の出来ちゃった結婚が暖かく理解される時代とは異なりました。現在交際中の方は出来ちゃった結婚にならないように交際を大切にしていただきたいですね。

  マリヤの心境を覚えつつ :38 へ行きましょう。

3、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉どうりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

 マリヤの言葉の中に、神のみ旨に対して損得を抜きにして自分を神にまかせる

信仰と

献身の姿勢に生きるマリヤの姿見ることができます

  神のみ旨に自分をまかせ、自分で道を選ばないことによって守られることがあるのです。自分で自分の道を切り開いて行くこともあるでしょう。どちらを選ぶか大切なことです。マリヤのように自分で選ばない生活もあることを受け止めなくてはなりません。信仰生活と献身生活の中にはマリヤのようなあり方が必要なのです。

  私たちにとって、神に自分をまかせて生きる生涯は、

平安であり

喜びであり、祝福の源泉です。だれかにイエスさまの救いを届ける働きがあるのです。「あなたのお言葉どうりこの身になりまうに。」と言い、信じて献身する人は幸いです。

               日本同盟基督教団無任所正教師 富 澤 誠 治