誌上礼拝
2013年 4月 「神に信頼する祝福」 
聖書の言葉

イザヤ書 26:4
26:4 いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。

神に信頼する祝福

 信頼することは人間関係を豊かにいたします。しかし信頼し任せることは勇気もいります。裏切られることもあります。
 きょうは神への信頼に的を絞ってイザヤ書を中心に見ることにいたしましょう。
1、神に信頼する勧め。イザヤ26:4 「いつまでも主に信頼せよ。」
 イザヤは神に対する不信の民に対して、神に信頼するように勧めています。これはイザヤが今まで神に信頼して来た事実が祝福の勧めとなってあらわれているのです。
 今も心から神への信頼に生きた人の勧めを聞くことがあります。自分の体験から出た勧めは人々に大きな励ましとなるようです。それは体験者の事実が伝わって行くからです。「いつまでも主に信頼せよ。」と勧めることのできる人になりたいです。
 もう一度イザヤの事実にもどりましょう。なぜイザヤが神への信頼を勧め大切にしたかは「ヤハ、主は、とこしえの岩だから。」と言う聖句にあらわされています。つまりイザヤは神は変わることのないお方であることを信じていたからです。事実神は変わることのないお方です。物質としての「岩」は長い年月の間には風化します。しかし神は変わることのないお方です。だから神に信頼する勧めとなっているのです。
2、神に信頼することによってもたらされもの。イザヤ12:2 「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。」
 私たち人の生活の中には、恐れ・不安・あせりなどが渦巻いています。誰もが経験するものです。その時どうするかは大切なことです。
 イザヤは "神に信頼して恐れることはない" と言っています。これはイザヤが経験したことですから否定することはできません。イザヤが神に信頼して恐れなかった事実に着目したいものです。
 イザヤは "神に信頼して力を得た" と言っています。また "神に信頼して神へのほめ歌"を歌うことができたとも言っています。そして "神に信頼して救いを得た" とも言っています。どの一つも神に信頼することによって得た祝福が証言されているのです。
 私たちも神に信頼することによって自分の言葉としての証言が生まれて来るのです。それがあかしなのです。神に信頼して祝福された証言が教会の中でも教会の外でもできるように願います。
3、神に信頼しないことに対する注意。イザヤ30:15 神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
 イザヤは勧めと同時に注意も語ります。神に信頼することは祝福ですが「あなたがたは、これを望まなかった。」と言っています。なぜこんな注意が生まれたのでしょう。理由は、当時の人々は神以外のものに信頼していたのです。それは、☆口があっても話すことのできないもの、手があってもつかむことができないもの、足があっても歩くことができないもの、だったのです。(詩篇115:5〜7) また、☆エジプトという大国に頼りました。(2列王18:19〜21)☆人に頼りました。(イザヤ2:22) それらを神よりも頼りになると考えだのでしょう。
 イスラエルの人々は、神に頼ることによって生きることを使命づけられた民でした。それを放棄して神ならざるものに頼ったためにイザヤによって注意がなされたのです。これは神がイザヤによって語られた注意であることを忘れてはなりません。
 私たちも神以外に拠り所を置くならば、それはイスラエルの人々と同じ失敗をしているのです。注意・注意。


            日本同盟基督教団無任所正教師 富 澤 誠 治


2013.3.1.「小さいことにも」
2013.2.1.「人の中にあるもの」
2013.1.1.「大切な関係」


2012.12.1.「何がよいのか」
2012.11.1.「生かしてください」
2012.10.1.「みことばについて」
2012.9.1.「感謝の材料」
2012.8.1.「みことばのとおりに」
2012.7.1.「聞くことについて」

2012.6.1.「慰めの必要」

2012.5.1.「何が大切なのか」
2012.4.1.「キリストの受難」
2012.3.1.「必要とされている」
2012.2.1.「豊かさとは何か」
2012.1.1.「心を尽くして」


2011.12.1.「受胎告知」
2011年11月以前の誌上礼拝