誌上礼拝
2012年 2月 豊かさとは何か
聖書の言葉

ルカ19:1〜10
19:1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

 きょう読んでいただいた箇所はザアカイで有名な箇所です。その中から "豊かさとは何か" を吸収することにいたしましょう。
1、豊かさは土地にあるのでしょうか?
ルカ19:1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
 エリコという土地は肥沃な地で緑豊かな農産物のあふれている土地でした。生活には困ることのない地だったのです。その地で生活する人々は本当に豊かだったのでしょうか? 実際にはそうではありませんでした。産物の豊かさゆえに、絶えず外部から狙われる略奪危険の中で生活しなくてはならなかったのです。狙われているなかで生活することは豊かさとは言えません。エリコの地とは、そのような状況の中にあったのです。
 ザアカイは、エリコの地にいることが本当の豊かさだとは感じられなかったと考えられます。

2、豊かさは職業にあるのでしょうか?
ルカ19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
 ザアカイは取税人のかしらという職業を持っていました。この時代の取税人はローマ帝国の請負人でした。ローマ帝国からは規定の金額が示されていたようです。それ以上の集金は取税人の収入になったようです。(今では考えられません)そんなことからザアカイは「金持ちであった」ようです。
 職業の中に搾取がありましたから、住民からは嫌われ者だったのです。取税人=罪人とされるような現実でした。ザアカイにとって取税人という職業は収入は多かったものの豊かさとはほど遠い現実だったのです。何か不足していることに気がついていたのでしょう。

3、豊かさは「大喜びでイエスを迎えた」ことの中にある。
ルカ 19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
 ザアカイの記事のクライマックスは、イエスさまとの出会いです。ザアカイには、イエスさまを見たいという気持ちがあったようです。(ルカ 19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。) イエスに会いたい気持ちを達成するために努力しているようすも見ることができます。
 願っていたように、ザアカイはイエスを見ることができました。ところが、それで終わりませんでした。イエスさまから声が掛けられたのです。新約聖書を調べる限りザアカイのことは他には出て来ません。イエスさまと面識があったことも記されてはいません。なのに、イエスさまから「ザアカイ」:5 と呼び掛けられているのです。しかも一方的に「あなたの家に泊まることにしてあるから」:5 と言われているのです。びっくりしたことでしょう。私は取税人です。家にお迎えはできませんとも言うことができたでしょう。ザアカイは無条件でイエスさまを迎え入れているのです。これによって "豊かさとは何か" をザアカイは知ったようです。
 ではなぜイエスさまを迎え入れることが豊かさになるのでしょう。これを知ることは大切なことです。
☆イエスさまを迎え入れることは救いの主を迎え入れることです。
☆イエスさまを迎えいれることは生活変化をもたらすことになりました。(ルカ 19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」)
☆イエスさまの宣言。(ルカ 19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。 19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」)「きょう、救いがこの家に来ました」とあります。ザアカイだけではなく "この家に" とあることにイエスさまの宣言の豊かさを見ることができます。ザアカイ一人の救いではなかったのです。家族全体におよぶものでした。
 豊かさは一人で独占するものではないようです。みんなと一緒に豊かさにあずかるのです。つまりイエスさまによってもたらされている救いは、みんなで共有することのできるものなのです。ここにイエスさまによってもたらされる豊かさの特徴があるのです。
 イエスさまを心の中に、生活の中へ、迎え入れることによる豊かさを確実にしたいものです。

               日本同盟基督教団無任所正教師 富 澤 誠 治

2012.1.1.「心を尽くして
2011.12.1.「受胎告知」
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