誌上礼拝
2012年11月 生かしてください
聖書の言葉

コリント人への手紙第二3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

生かしてください

 詩篇119:25 :107 :156 の言葉をたどり追って行くことによって「御霊は生かすからです。」と語られている聖書のことばを理解しましょう。
1、詩篇119:25を見ましょう。
(私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください。)
 「あなたのみことばのとうりに私を生かしてください。」と詩篇詩人は歌います。パウロの言葉の「文字は殺し」ということは「新しい契約」と関連しているのです。「新しい契約」は、キリストの救いのことを指し、パウロは生かすのは聖霊のお働きとして記しています。その聖霊は「みことば(聖書の言葉)」と共に働いて生かしてくださるのです。
 パウロは、「文字は殺し、」と語るのは古い契約である律法のことを語っているのです。しかし律法を無視し捨てたのではありません。そのことは、(ローマ人への手紙 3:31 それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。 7:6-7 しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。 8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。)に明らかです。律法を完全に守ることによって律法によって生かされるはずです。残念なことに律法を完全に守ることのできた人はおりません。これが律法の現実だったのです。
 旧約聖書では三位一体は、ぼんやりとしたものですが新約聖書では明確です。詩篇詩人が「生かしてください」という時、新約聖書の光を当てることによって、聖霊によってと言うことが良く分るのです。
2、詩篇119:107 を見ましょう。
(私はひどく悩んでいます。主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。)
 「悩み」と「生かしてください」が関連づけられて歌われています。詩篇の多くはダビデの作です。ダビデはイスラエルの最高権力者、王となった人でした。そのダビデは悩み多い歩みをしているのです。問題の無かった人でもありませんでした。ダビデはサウルに追われ、自分の息子アブシャロムからも逃げ惑う生活をしなくてはなりませんでした。しかも大きな罪を犯して悩みを持った人でもあったのです。痛々しいほどの現実でした。悩みは人の生きる希望を奪います。苦しい時に「みことばのとおりに私を生かしてください。」と言っているのではないかと思えます。このような神に向かう姿勢が詩篇詩人に生きる祝福をもたらしたのでした。
 現在、私たちも何らかの形で「悩み」を持って生活しています。そうした中で真に生かし、慰め(助け)は、聖霊によるのです。このことはイエスさまも語っておられます。(ヨハネの福音書15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。)と記されています。パウロも(ローマ人への手紙8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。) と聖霊の助けのことを語っています。悩みの中で慰められ、助けられ、生かされる祝福はみことばと共に働かれる聖霊によるのです。
3、詩篇119:156.を見ましょう。
(あなたのあわれみは大きい。主よ。あなたが決めておられるように、私を生かしてください。)
 「主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください。」と祈られています。自分の願っているようにではありません。
 最近は、自己実現とか願っているように生きることが大切に意識されています。このことは否定されてはなりません。神が人に志しをお与えくださるからです。
 詩篇詩人が、自分の願っているようにと言わないで、「あなたが決めておられるように」と言って自分をささげている姿を見る時、イエスさまのゲッセマネの祈りを思い出します。(マタイの福音書26:39 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」)
 神のみ旨の実現を願うことの重要性を教えられます。これこそ自己実現の願いを越えた祝福の源泉となるものです。
 イエスさまが十字架への道を拒まれたならば私たちの救いはありません。詩篇詩人のように心から「みことばのとおりに私を生かしてください。」と言うことができたなら、そこに真に生かされる歩みが起こるのです。


            日本同盟基督教団無任所正教師 富 澤 誠 治