誌上礼拝
2013年 3月 「小さなことにも」 
聖書の言葉

ルカ19:11〜27

 19:11 人々がこれらのことに耳を傾けているとき、イエスは、続けて一つのたとえを話された。それは、イエスがエルサレムに近づいておられ、そのため人々は神の国がすぐにでも現れるように思っていたからである。

 19:12 それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。

 19:13 彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』

 19:14 しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。

 19:15 さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。

 19:16 さて、最初の者が現れて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』

 19:17 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』

 19:18 二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』

 19:19 主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』

 19:20 もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。

 19:21 あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』

 19:22 主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。

 19:23 だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』

 19:24 そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』

 19:25 すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています』と言った。

 19:26 彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。

 19:27 ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」

小さな事にも

  イエスさまは、大切な真理を「たとえ」を用いて語られました。きょうの箇所もその一つです。なぜイエスさまは「たとえ」で語られたのか、その理由は、マタイ13 章に見られます。真理を知ろうとする者には理解ができるようになりますが、真理を求めない者には隠されたもので理解できないのです。イエスさまの「たとえ」は読む時に知りたいという心を持って読むことです。大切な真理が教えられるでしょう。
  きょうの「たとえ」で注意しなくてはならないことは、ことば・行為です。ことばは「私が帰るまで、これで商売しなさい。」と言われ、10人の人に「10ミナ」を託しました。
  10人の人は、それぞれの取り組みをしたのでした。10人は公平に一人1ミナを受け取ったようです。その1ミナによって商売し1ミナをどうしたか報告しています。それが15節から21 節に記されています。
  一人は1ミナを十倍にしました。二番目の者は五倍にしました。もう一人の者は、そのまましまっておいたと報告しています。その中で十倍にした人に対して「よくやった、良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。17節」と言われています。
  十倍にした人に「小さな事にも忠実」だったと言われたことばに驚きを覚えます。理由は、十倍にもすることは勇気・努力・知恵などを結集しなくてはなりません。十倍にすることは並大抵のことではなかったでしょう。それを「小さな事にも」といわれているのです。
  正直なところ私は十倍にしたことが小さな事と言われていることに戸惑いを覚えます。しかも、それが「忠実」だと言われています。ますます戸惑いを覚えます。
  イエスさまは弟子たちに戸惑いを覚えさせるために語られたとは思えません。
  この「たとえ」によって、あなたは託されたものを増やそうとする人ですか、それともしまい込んでしまう人ですかと問われているように思えます。
  増やそうとすれば失うかも知れません。しかも自分のためではありません。それでも増やそうとすることは勇気のいることです。知恵も働かさなければなりません。努力もしなくてはなりません。
 増やそうとする心と生活を大切にする者を喜んでくださる "お方がいる" ことを意識することが求められているように思えます。そのお方から「よくやった」と言われたいと願う心が求められているように思えます。
  私には、増やす力はありません。そう意識したらミナ(私の生存)を与えてくださったお方に助けを祈り求めることはできるのではないかと思えます。私の生存が用いられますようにと祈って生活することはできるでしょう。
  それが託してくださったお方に対する忠実でしょう。
 幾つかの忠実を見ましょう。
☆モーセの忠実  ヘブル3:2,5,6.  
☆ダニエルの忠実  ダニエル6:4. 
☆コロサイ人への手紙の中の人物に見る忠実  
 1)エパフラス コロサイ 1:7
 2)テキコ コロサイ4:7
 3)オネシモ コロサイ4:9.  などから「小さな事にも忠実」が見えて来ます。許される限りご自分の聖書を開き調べましょう。

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            日本同盟基督教団無任所正教師 富 澤 誠 治


2013.2.1.「人の中にあるもの」
2013.1.1.「大切な関係」


2012.12.1.「何がよいのか」
2012.11.1.「生かしてください」
2012.10.1.「みことばについて」
2012.9.1.「感謝の材料」
2012.8.1.「みことばのとおりに」
2012.7.1.「聞くことについて」

2012.6.1.「慰めの必要」

2012.5.1.「何が大切なのか」
2012.4.1.「キリストの受難」
2012.3.1.「必要とされている」
2012.2.1.「豊かさとは何か」
2012.1.1.「心を尽くして」


2011.12.1.「受胎告知」
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