ピリピ人への手紙
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。:7
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
人の中にあるもの
私たち人の中に、不安があるか、平安があるかによって生活が変わってきます。(箴言12:25
心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。15:13 心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。)「不安のある人は沈み」「気はふさぐ」と語られています。まことによく当たっていることばです。人にはどんな不安があるのか考えましょう。
1、存在の不安があります。
自分自身がこれからどうなって行くのか考え出すと人は将来のことはわかりません。わからないことから来る不安があふれるのです。存在そのものに対する不安です。自分の存在を脅かす病気から来る健康不安だったり、他から襲われないだろうかと不安になります。
箴言が語っているように、不安があれば心は「沈み」「気はふさぎ」ます。箴言の著者も不安との葛藤があったのでしょう。または周囲の人々の不安に満ちた姿に関心を持たなくてはおられなかったのでしょう。
確かに不安はだれでも経験するものです。
2、存在の無意味さを感じる不安があります。
人にはできても自分はできないと感じることからくる自分自身の存在の無意味さを感じる不安があります。
"自分はいなくてもよいのだ" と思えると空しさがあふれて来ます。そして不安を増してしまいます。
人から無視された時、存在の無意味さを意識してしまいます。当然不安に陥るのです。でなければ怒りが爆発いたします。そうなるとますます人間関係は悪くなります。生きていることが苦痛になるのです。
人は不安から解放されることはないのでしょうか?
3、不安から平安への祝福があるのです。(ピリピ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。:7
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。)
ピリピ人への手紙は、パウロがピリピの教会の人々に書き送ったものです。昔も変わることなく「思い煩い」つまり不安があったのです。
不安があふれて苦しむ時、どうすればよいかが「神に知っていただきなさい」と言うことばで語られています。
一般的には、信頼できる人に知ってもらうことによって不安が解消される場合があります。何でも話せる友があることは幸いです。しかし、
パウロは「神に知っていただきなさい」と言います。本来神は人のすべてのことをご存知です。なぜ「神に知っていただきなさい」と言わなくてはならなかったのでしょう。「神に知っていただきなさい」は祈りの勧めです。人は神にお祈りしないと
"知っていただいた" と言う意識が持てません。だから祈りの勧めとして「知っていただきなさい」と語られているのです。
毎日の生活の中で、聖書によって語りかけてくださる神の語りかけを聞いて応答するのが祈りです。一人でもできます。複数の人によってもできます。毎日できるのは自分一人か、家族の人とです。
祈りの結果が「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」"そうすれば"と言って語られる7節は暗記したいですね。神から来る平安は一時的ではありません。「キリスト・イエスにあって守ってくれます。」と語られているように、守られるもの、永続するものなのです。キリストによる平安を持っている人は幸いです。理由は、相談できる人はいつまでもいません。しかしキリストは「きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13:8)とあるようにキリストは不動なお方です。キリストから来る平安が真の平安です。
日本同盟基督教団無任所正教師 富 澤 誠 治