ヨハネの福音書
15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
大切な関係
私たちの大切な関係はイエスさまとの関係です。4節5節
1、木と枝の関係
岡山の葡萄農家では葉が重なり合って密集しないように、葡萄の実一房のために一枝15枚を目安に刈り込みをするようです。葡萄の収穫後は見事に剪定されてしまいます。
イエスさまはご自分を「ぶどうの木」とされ私たちを「ぶどうの枝」とされました。ここに大切な関係があるのです。
2、とどまっている関係(キリストと人の関係)
枝は木についている関係にあります。キリスト者はキリストにとどまっている関係が大切です。これ以上の必要はありません。必要な養分は木であるイエスさまから供給されます。ただ少しだけの関係はいただけませんね。全面的にとどまっていることです。これが三節の「きよい」に関係するようです。キリストにとどまることから来るキリスト者の清さが実を結ぶ関係ですね。
「車いすの天才科学者」として有名な英国ケンブリッジ大学のスティーブン・ホーキング博士は、天国とか来世を否定して活動していると伝えられています。博士の映像はコンピューターを用いて語る車椅子の姿を見たことがあるかも知れません。身近な現実の中で"ホーキングは来世は無い"と言っています。と言われたらキリスト者としてどう対処したらよいのでしょう。イギリスで議論が巻き起こっているそうです。キリスト者である私たちが来世否定の発言を聞いたらどう対処すべきでしょうか。ホーキング博士の考えを肯定すれば木と枝の関係はいらなくなってしまいます。どちらの立場に立つかは私たち人の選択の自由に任せられています。厳粛なことは選択した結果は受け止めなくてはなりません。私たちは信仰の世界を生活していることを心にとめなくてはならないでしょう。
3、キリストにとどまっている関係(人間関係を豊かにする関係)
ヨハネは繰り返し互いに愛し合う関係を語ります。(ヨハネ13:34.35. 15:12.17.この箇所はご自分の聖書でお読みください。)教会では人間関係が豊かになればなるほどお互いが関わる人がキリストに結びつく関係が生まれる可能性があるようです。
五節にある「実」は何を意味するのでしょう。(ヨハネ4:36.38. 12:24. 15:2.4.5.8.16.この箇所はご自分の聖書でお読みください。)これらの聖句を読むと「実」は地上において結ぶもののようです。ガラテヤ
5:22.23 (この箇所はご自分の聖書でお読みください。)が一番分りやすい気がいたします。自分に関連することは、平安と自制です。他者に関連することは、愛、喜び、寛容、親切、善意、誠実、柔和、の九つの言葉で表現されています。もう一度ヨハネの福音書を読みましょう。
ヨハネ15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
キリストにとどまっている関係がもっとも大切なものです。そこから「実」が結ばれるのですね。
自分に関連する、平安と自制と言う実でしょうか。他者に関連する、愛、喜び、寛容、親切、善意、誠実、柔和、の実でしょうかお互いの祈りの課題です。
日本同盟基督教団無任所正教師 富 澤 誠 治