詩篇112:5-7
112:5 しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う人は。
112:6 彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。
112:7 その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。
信頼の祝福 C
私たちは毎日の生活の中で困難やいやなできごとに直面するものです。そんな時に詩篇は大きな励ましになります。きょうは「信頼の祝福は状況を越える祝福」であることを吸収したいと願っています。
1、危機の中での祝福 (詩篇 56:10 神にあって、私はみことばをほめたたえます。主にあって、私はみことばをほめたたえます。56:11
私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。)
この詩篇56篇は表題によると「…ペリシテ人が、ガテでダビデを捕えたときに」とあります。表題の注を見ると第一サムエル21:10.11 が紹介されています。そこにはダビデはガテのアキシュの所へ逃れたとされています。後ろにはサウロの追跡、アキシュの所では人々から不信の目で見られています。不利な状況そのものでした。(第一サムエル21:13 それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。)と生々しく記されています。このような状況の時に、ダビデの行動とは裏腹に心には神への信頼とさんびにあふれていたのでした。
ダビデにとって不利な状況の中での突破口は神へのさんびと信頼であったのです。このような在り方ができるのは神の恵みだと信じます。人間的にはとてもできないことができてゆくのです。そしてハレルヤ詩篇が生まれることとなったのです。
2、支えとなった祝福 (詩篇62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。)
私の毎日の通読用の聖書に1997.3.31.佐藤朝雄牧師を病室にお見舞いした時に語られた聖句と鉛筆書きでメモされています。肝臓疾患のために苦しい状況があったでしょう。静脈瘤の硬化術は大変な苦痛だったようです。そのような状況の中から「私の支えの聖句です。」と言われた言葉は忘れられません。天へ召された佐藤牧師からいただいた私にとっては宝の言葉になりました。
キリスト者には苦しい状況の中で支えとなる聖句があるものです。その聖句を思い出すと支えられ平安を回復し苦しい現実は変わらなくても耐える力が与えられるのです。
自分の好きな聖句、支えられる聖句を持つていることは幸いです。そのみことばが足元を照らします。困難な状況の中でも支えられて生きる祝福となるのです。
ダビデの生活には神への信頼が貫かれていました。詩篇62篇には、そのあかしがあふれているのです。
神への信頼の祝福を確かにしたいものです。
3、ハレルヤ詩篇に見られる祝福 (詩篇 112:7 その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。)
ハレルヤで始まる詩篇は、111篇112篇113篇と連続しています。きょうの箇所(詩篇112:7
その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。)とあります。
私たち人の恐れは「悪い知らせ」です。悪い知らせを聞くと痛んだりショックするものです。心臓がどきどきしてしまいます。まさにストレスそのものです。ストレスとは、気温の寒暖、喜怒哀楽、甘酸辛苦、不安恐怖、欲求不満、別れ、などのようです。特に悪い知らせは大きなストレスになります。
詩篇の時代にはストレスという言葉はなかったでしょう。しかし悪い知らせには恐れがともなったでしょう。そのストレスを恐れないと言っているのです。恐れない理由が「主に信頼」したことによってと説明されています。
神に信頼することは、「恐れ」というストレスを取り除くのですね。これはストレス社会の中で生きる私たちも学ばなくてはならないことです。
ダビデは厳しい状況を克服する神への信頼の祝福を自分のものとしていたのです。
日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
富 澤 誠
治