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| 詩の友 第78号 1985年2月 |
紹介 中原中也詩集 大岡昇平編 無題と題した作品の中の Xだけは 幸福と題されている。 X 幸福 幸福は厩(うまや)の中にゐる 藁の上に 幸福は 和める心には一挙にして分かる 頑なの心は 不幸でいらいらして せめてめまぐるしいものや 数々のものに心を紛わす そして益々不幸だ 幸福は休んでゐる そして明らかになすべきことを 少しづつ持ち 幸福は 理解に富んでゐる 頑なの心は 理解に欠けて なすべきをしらず ただ利に走り 意気消沈して 怒りやすく 人に嫌われて 自らも悲しい されば人よ つねにまづ従はんとせよ 従ひて 迎えられんとに非ず 従ふことのみ学びとなるべく 学びて 汝が品格を高め そが働きの裕かとならんため 投稿 「あたたかい手」 桑原勝芳 きのう失敗した 思い出すたびに 顔が赤らむ 心がさわぐ きょうも失敗した ああ 自分がいやになる いつになったら失敗の日が こなくなるのだろう あすか あさってか ふと見上げると 主イエス様の御顔が あたたかい御手が・・・・・ そうだ このお方の 手の中にいれば 希望がわいてくる このお方の 御手の中には 平安でみちている 78号の富澤誠治作 生きざまをもって 自分の 生きざまをもって キリストの証人となられた 朝岡 茂師 1984年6月10日 ペンテコステが 最後のメッセージ 題は 「神の声に聞く」 神の全面支配の中で 生きる それは 神の声に聞く生活 私は この世の 一切に失望してしまった時 神の声に聞く生活を得た それは 初代教会の祝福です 個人の生活の祝福です 私への祝福でした その祝福を 私は話さないわけにはいきません あなたも 神の祝福を 隣人に お話しください 愛の涙をもって 語られた 朝岡 茂師 浜松の聖隷病院 ホスピス病棟で 「主の手に落ち入っています」 私への 最後の 言葉を残された 朝岡 茂師 師と 出会ったのは 二十年も前の 箱根 小涌園の ケズイック・コンベンション 毎回出会うのは 日本同盟基督教団の 教団総会 研修会 どれも個性を まる出し その一つ一つは 自分の 生きざまをもって キリストの証人となられた 朝岡 茂師 私と同じ 昭和十一年生まれ 出会いの めぐみはつきない |
| 詩の友 第79号 1984年4月 |
紹介 「ジョン・ニュートン」 山口 昇訳 船員であり 船長でもあり のちに牧師になり さんびか作者でもあった ジョン・ニュートン 「驚くべき恵み! 何と美しい言葉でしょう こんなみじめな者も 救ってくださるとは かつては 失われ盲目だった私が 今は見出され 見える者とされたのです 多くの危険 困難 誘惑を 私はくぐりぬけてきました ここまで安全に 導いてくれたのは恵みです 天の家までも 導いてくれるでしょう」 聖歌では "おどろくばかりの めぐみなりき" と歌い出され 神のめぐみが歌われている 投稿 「暮らしの中から」 鈴木 実 山上の垂訓学ぶ梅真白 聖句得て心安まる梅咲けリ 恵まれし日々の暮らしや水ぬるむ 79号の富澤誠治作 天城山荘 天城山荘にいると 聖書に親しみたくなる 今回の滞在で 旧約聖書は 出エジプト記 新約聖書は マルコの福音書 二つの書を 読み終えた 天城山荘にいると 神に祈りたくなる 教会の人々のために 祈りたくなる 天城山荘にいると みことばの確信が与えられる 自分の願いではなく 「すべては神の栄光のため」 「主がお入用なのです」 教会の 祈りを必要とする 人々のために みことばの確信が与えられる 山荘の 職員さんの 親切にかこまれて デパート 食品も 衣類も 雑貨も お花も 美術も 何でもある 見て楽しく 買い求めて楽しく 人を満ち足らせる デパート 人の心に 影響する 文化があって 芸術があって 心にうったえる 材料がいくらでもあるのに 足らないものがある 福音が・・・・・ 受難週 イエスは こういわれた 「エルサレムの娘たち。 わたしのことで泣いてはいけない。 むしろ 自分自身と、 自分の子どもたちのことのために 泣きなさい。」 ルカの福音書23章28節(新改訳) イエスの ご受難の痛みを 少しでも知ろうと 聖書を読み 祈りはじめたのに それが 自分のために 家族のために 知人のために 友人のために 泣く それこそが 受難のイエスの 私への御心であった イースター ベツレヘムで生まれ ナザレで育ち エルサレムで 十字架につけられた キリスト 墓には遺体はない 三日目に 復活された キリストに 墓の必要はない |
| 詩の友 第80号 1985年6月 |
紹介 PBAだより 発行 太平洋放送協会 「わたしの眼は」より 屋比久秀子作 わたしの目は 光を知らないの でも 魂は 本当の光を知ってるわ イエスさまが 私の心に 入ってこられたからよ だって 生命の光ですもの −中略− わたし お母さんの顔 見つめたことないの でも イエスさまのお顔を 見上げているの ほほえみながら 「来たりていこえ」と 呼んでいらっしゃる やさしいお声が 祈りの時 さわやかに聞えるのですもの 全盲の福音歌手(現 堂面秀子作) PBAだよりはキリスト教の放送番組を紹介する機関紙、名古屋は東海ラジオ1332KHzで月曜から土曜の午前5時40分から5分放送 投稿 「お支え下さい」 鈴木きよ子 新緑の美しく晴れた日は 汗ばむ程であっても 糸のような雨の降る日は 足元に そっとストーブを置きます 肢体が不自由であっても それなりの生活ができるなら 感謝の祈りを献げましょう 神様とわたくしとの生活が 一日も永く続きますように 「主よ お支えください」と 頭をたれて祈りましょう 受洗カードは 尊い神様との出会いのしるし み国の門に立たせていただく時の 大切な証しとして 純白な封筒に納めてあります 投稿 「弱者」 沢村せい子 きたない心 いやな思い こんな心がいやです イエス様 こんな私を あわれんでください 美しい 心と 聖い あなたのお教えを 私の身に つけさせてください 弱い者ですから イエス様 あなたの みかお照らしてください 80号の富澤誠治作 トンネル バスで観光すると いくつもいくつも トンネルに出会う トンネルは 目的地への近道 人の歩みにも トンネルがある だれの人生にも つきまとう やみ路 その中は不安で 苦痛に満ちている でも トンネルは 光りあるあすへの近道 |
| 詩の友 第81号 1985年8月 |
紹介 「天国へのVサイン」 寺部律子著 詩は富澤誠治作 寺部善樹君のこと 彼は 金沢大学在学中 悪性脳腫瘍にとりつかれた 学業をなかばにして 学業を断念し 情報処理技術者試験も 挑戦することができず どれほど くやしかっただろう 数回の手術に耐えて 脳腫瘍との戦い とうとう 気管支まで冒されて 切開すれば もう 声は出せない 気管支手術の前に 母の求めに答えて "お母さん お母さん お母さん" 三度の呼びかけ 手術の後は 声は ない 敗北だったのか 否 否 キリストにありて 無言の 勝利のVサイン 飛騨川 岩場に点々と 咲いている岩つつじ 堅い世界の中にやわらかさをそえ 赤い花は 岩場に温かさをそえている キリスト者の生活も ごつごつした 岩場のような現実にも キリストによって 温められ 世界をやわらかにし 温かさをそえる存在でありたい 岩場をとりまく緑 岩つつじが 緑を引き立てるのか 緑が岩つつじを引き立てるのか お互いに おぎないあっている 人の生活も たえずおぎないあうことが とても大切ではないか 高山線上麻生ダム下流で 1985年6月11日 飛騨川を見ていると たいくつしない あるところははげしく流れ あるところは水をいっぱいためて ゆっくり流れている 人生も はげしい流れの時もあり おだやかに流れている時もある 飛騨川に 人生のドラマを見る 高山線白川口下流で 1985年6月11日 栗の花が 枝の頂点から たれさがって咲いている 秋には つやつやの実を つけるよと 語りかけるように 咲いている 高山線各務原付近 1985年6月11日 美しい山の緑に囲まれて 下呂温泉はある 午前十時 いずみ荘の部屋に 昼のおそうざいだろうか 良い香りがただよう 迎える人と 迎えられる人がいて 互いに支え合っている 根の上高原 暑い名古屋を離れ 教会学校生徒と共に 電車と バスで 一時間半 こんな近くに こんな涼しい 別天地 木立からは うぐいすの鳴き声が聞え 真夏を忘れてしまう じっと耳をすますと 名も知らぬ 小鳥のさえずり 湿原には 真っ白い花の サギ草が咲き 草むらには ピンクの ネジ花が咲き 園芸愛好者には 見飽きない 美しい世界 虫が暖を求めて 人に近づいて来る 自然のあふれる世界 教会学校の生徒は そこで 何を感じ 何を学んだのだろう キャンプのテーマは 「救い主キリストさま」 キリストを知り キリストを知らせ キリストのために生きる 生徒も 教師も みんなでたしかめ キャンプは終る 聖句 詩篇19篇1−4節 天は神の栄光を語り告げ、 大空は御手のわざを告げ知らせる。 昼は昼へ、話を伝え、 夜は夜へ、知識を示す。 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、 そのことばは、地の果てまで届いた。 |
| 詩の友 第82号 1985年10月 |
紹介 「こぼれ落ちる涙さえ」 工藤一麦著 "劣等感に打ちひしがれている人 病に伏す人に ささげる詩集" と 巻頭言にある 劣等感 病は 誰でも経験していること 工藤一麦さんも 劣等感や病に 苦しんだのだろう "「感謝」 わたしのように とるにたらぬ者が この世に生きていられるのは わたしでなければ できない何かを 神さまが 与えてくださっているからだ" 20ページ 苦しい 感情の中で 慰めを得 生きる使命を 発見する 詩人の心が 伝わって来る 読者に 感動や なぐさめ 豊かな糧をもたらしている 投稿 「かまきり」 森 健二 夏の日のひるさがり 草刈りをして 家に帰り 机の前にすわると シャツにでもとまっていたのか 一匹のかまきりが 机の上に飛び降りた 四つ足をひろげて かま首をあげ 逃げようともしない 二センチほどの かわいいかまきり そっと封筒にのせ 外に出て 庭の青葉の上においた 82号の富澤誠治作 草を見ていると 春から夏に 咲き誇っていた 草花が 徐々に 美しさを失い 寂しそうに つやがうすれ 葉の先は折れて 秋の姿になって行く 真夏の 美しさは もはやない 草が 私に 語りかけている 語り掛けが 聞えれば 秋と 冬に 備えるにちがいない 聖書 ペテロの手紙第一 1章24.25節(新改訳) 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」 聖書の箇所を 開いて 大切なことを 見とどける (1985年12月号がなかったのは家内が子宮筋腫の手術で入院、和文タイプができなかったからでした。) |