以前の詩
| 巻頭言 詩の友 第19号 1975年2月 |
新年を迎えたと思いましたら、もう二か月を経過してしまいました。時間の過ぎて行くことの早いこと、その間、何一つ良い働きのできて行かないことを見て悔いのみ多く残るものです。 それでも信任して働きに押し出してくださる神の愛に大きな恵みを感じますと同時に、力をつくし、思いをつくして主なる神を愛し、自分と同じ程に隣人を愛そうと心を新しくするのです。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「新年」 吉持 章師 |
兎の脚は うしろが長い 坂道を登るに便利だろう 兎の耳は 羽ほど長い 天地の声をよく聞くだろう 兎の目玉は 真赤なはれ目 愛の涙を惜しまぬだろう (年賀状からであったかも知れない。 富澤) |
| 投稿 小田一恵姉 |
あなた あなたがささやくことばは だれよりも愛がこもり あなたのみつめる瞳は だれよりもやさしく あなたのことばを聞き みつめられれば 私は苦しみからぬけられる どんな人よりも わたしを力強く導き 愛を与え 私をお守りくださる 共にいる愛するイエスよ 寂しくなったら ふっと寂しくなったら あなたのことばを思い出します ふっと悲しくなったら あなたの姿を思い出します あなたを忘れぬなら どんなに しあわせなことだろう |
| 19号の富澤誠治作 |
しかられて しかられて "おとうちゃんのばか、ばか" と なみだをいっぱいためて ゆり がいっている それでも 愛のまなざしが注がれていた 天の父に "ばか" などといわないまでも 不従順なのに 愛のまなざしが "悔い改めなさい" と語っている 死 (召された高松孝子姉を偲び) 身体をのこし 愛する者をのこし 忘れ得ぬ生活を残し ああ 祈りのいらない世界へ・・・ |
| 巻頭言 詩の友 第20号 1975年4月 |
第二十号をお送りできて感謝しています。 1971年11月に第一号を発行してより四年、いつ消えるかとひやひやしながらも二十号を迎え感激を覚えています。今まで投稿・ご献金をもって支えてくださった先生、愛兄姉に心から感謝をあらわします。 私たち人間は心を持っています。その心は形にあらわされ、言葉にあらわされます。詩の友の作品は、作法にこだわらず上手下手にこだわらず、喜び、怒り、信仰の心が言葉にあらわされたもの、それでよいのだとしています。 (二十号には八人の方からの投稿が寄せられていました。) (こんな巻頭言になっていました。) |
| 20号の富澤誠治作 |
出エジブト記より しば が燃えているのに 尽きてしまわない 不思議な光景を モーセは見た それが偉大な指導者の第一歩 この記事が いつも弱さを覚え 足りなさを ひしひしと感じている者に お前は しば だといっている アーメン しばでよいのだ 神の炎は 私を尽きさせないのだから 思い出 イエスさま信じない人 お気の毒ね お父ちゃん 伝道に行って来てちょうだい と言ったという幼き日に天に召された、よし子ちゃんを語る向後昇太郎師の姿が忘れられぬ。 |
| 巻頭言 詩の友 第21号 1975年6月 |
五歳になる ゆり と月曜日の夕方寝転がって空を見ていると くもはどこえゆくのかな まちへゆくのかな おかねもっていないのにな と独り言を言いながら立って行ってしまった。そのひとりごとの中に詩があることを発見して、すなおな詩心、そして詩の友の投稿者の一人一人がすなおな聖書信仰に立つように、と願ったのでした。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 紹介 「わが人生短歌集」より 山口徳夫師 |
われすらも知らぬわが価値誰か知る ただ神のみぞ知りたもうなり わが価値を正しく評価なし給う 主にまみゆる日やがて来たらむ 期待せし若人たちにそむかれぬ 主の悲しみを今ぞ知りけり わが夫婦二十世紀と同じ年 世紀の苦楽身に沁みており 伝道車カジ棒をわれ握り 妻は黙して後押しをせる |
| 投稿「長女の幼稚園卒園・小学校卒業によせて」 藤後朝夫師 |
卒園の幼な子の顔ほころびて 入学の日を待ちわびて居り 卒園の時にはしゃぎし幼な子も 今日この日は目がはれて居り 校庭にそびえて立てるいちょう樹に 思い出残し去る子らの胸いかに 学童と呼ばるる日をばあとにして 青春の嵐君を待つやも |
| 「ねがい」 富 澤 誠 治 |
すすめられると買い物もいやになる 選ぶ自由がさまたげられるから キリスト教の信仰をすすめられるのも人はいやなのだろう自由な選択を願う心があるために それならば すすめることをひかえ 愛されていることを覚えます 赦された喜びがあるんです 大能のみ手の支えがあるんです 信じているんです 平安です そんな言葉でめぐみをもっともっと話すことにしよう わたしの喜びにあなたの自由な選択が動くように |
| 巻頭言 詩の友 第22号 1975年9月 |
神は聖書を通して人に語りかけられる時、全人的ないやしをくださいます。テサロニケ人への第一の手紙5章23.24節に「霊と心とからだ」(口語訳)とあります。これこそ全人であり、神のいやしは全人に及ぶもので、これこそ救いである。 詩、それは作る者にも読む者にも慰めをもたらします。信仰の詩は、読む者にめぐみと祝福を持ち運びます。詩はそれ以上のものではありません。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「献身」 向後昇太郎師 |
壇上に献げしものは灰となり 残る命はみ心のまま 贄(にえ)とせしこの身に神よ成し給え そのみ心の余りなきまで |
| 22号の富澤誠治作 |
愛する君へ 稲は収穫されて 始めてよくできたとほめられる 青田はほめられぬのだ 君 青田よ 少し優秀でも青田だ 少しできが悪そうでも青田だ どちらも未来がある おおキリストは 青田を立派に 完成される方 街路樹 若葉で春を告げ 夏には木陰で涼をもたらし 秋には吹きすさぶ風雨にも負けず −中にはたおれてしまうものもあるが− 葉を落とした冬にも枯れることなく 寒さにじっとたえている 街路樹の一年を見ていると 人の春夏秋冬を思う 今 君はどこに立っているのか 二度とこない青春 二度とこない青春 消すことのできない いやな思い出 楽しくて人生に大きな 意義を与える思い出 それは青春の時にできるのだ どちらをとるかは 君自身が決定するもの ああどちらかを 言 葉 何とも思わないで言う言葉が 君を傷つけたり 君を励ましたりもする オレ 言葉で 傷をつけてしまう 愚か者 それでも主は召してくださった なぜなのか 君を傷つけてしまう それしかできない 愚か者を キリストの愛で 言葉に味をつけるため |
| 巻頭言 詩の友 第23号 1975年11月 |
詩の友がお手元に届けられる時は立冬でしょう。春夏秋冬があるのは神の恵みです。また人の一生が神のみ手の中にあることを認めて生きることは恵みです。神のみ手の中にあることを見出すことは幸いです。感謝です。なぜならこの世には右にも左にも不満がいっぱいだからです。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。 テサロニケ人への第一の手紙 5章16-18節(口語訳) (こんな巻頭言になっていました。) |
| 23号の富澤誠治作 |
仰いで見ていると 雨の日 柳を見ていると 雨の重みで頭をふかく深くたれて じっとこらえている 風の日 柳を見ていると 風にさからうこともなく ゆれている 晴れの日 柳を見ていると 太陽に向けて葉も枝も 気持よさそう わが人生もかくあらん 自 我 人には 心の願いがある したいことがある キリストは 「あなたはわたしのものだ」 そう宣言される それを承認する時 自我は キリストの内にとけこんで行く まよい 選ぶことにまよい 不安に満ち 道にまよい いらないことに力を入れる なんと人生はまようものだろう 神の選民イスラエルは 火の柱 雲の柱をもって導かれたという まよいやすい人であったからだろう 今も迷いがいっぱいな人に 「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3章5.6節(口語訳) 両 極 安眠に不眠 平安に不安 確信に迷い 愛に怒り 謙遜に高慢 信仰に不信仰 いたわりに無理解 にぎやかに静か おしゃべりに無口 従順に不従順 早寝に夜ふかし きんべんにたいだ 物事には両極がある そのどちらにいるか それによって人生が変わる 痛みと喜び 背く者を キリストはどんなにか痛みをもって ながめられる 背かれて知る キリストの心 従う者を キリストはどんなにか喜びをもって ながめられる 従って知る キリストの心 |