以前の詩
| 巻頭言 詩の友 第48号 1980年2月 |
聖書の詩篇102篇の中で詩篇詩人は、「私の心は青菜のようしおれています」と悩みの中にいる心と状態をあらわしています。また悩みからの勝利を「主よ。私の祈りを聞いてください。」と神に対面することによって得ました。 人に必要なことは、私の創造主である神を知ることではないか。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「新年」 鈴木 実 |
かたわらに神いますごと日向ぼこ 信仰の日々に新たに去年今年 礼拝を守りし母に初日射す 励ましの一字を添えて賀状来る 教会の窓を開きて初雀 |
| 投稿 「希望」 中村政夫 |
われらに 必要なものは希望である 心に希望があるなら 人は淋しい心を抱くことはない 希望は 不思議な不思議な 力なのである (中村政夫さんは43号から59号まで表紙を書いてくださった。) |
| 「アブラハムから」 |
人々から尊敬され 慕われたアブラハム 自分の妻を 妹だといって 敵の手から 自分を守る 人間くささを持ち そうかと思うと 神の指示には 行くべき地を知らずに 出て行き 愛子イサクをさえ ささげる覚悟をし 信仰の父と尊敬された アブラハム 彼は完全ではなかった でもいつも 全能者に信頼する信仰に立った それは今も 聖書に親しむ私が 唯一回の人生の中で 忘れてはならないこと 富 澤 誠 治 |
| 巻頭言 詩の友 第49号 1980年4月 |
驚きの心を持って、野 山 海 川 草 小鳥 動物 そしてキリストにある人を見よう。不思議なほど、その美しさを発見することができる。そこから自分の人生と心をのせた詩が生まれることだろう。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「ガリラヤ」 森 健二 |
主イエスは 死よりよみがえられた 古きは過ぎ去り 見よ新しくなった 素晴らしいことだ 生活の場において よみがえりの主に 会うことができる そこがガリラヤだ わたしを愛する者は わたしの父に愛され わたしもその人を愛し その人にわたし自身を あらわすであろう それは主イエスの約束である |
| 49号の富澤誠治作 |
横川駅で プラットホームに 春の雪積もり 列車は動かず たいくつしのぎに 列車から出た人の足跡へ 雪はたえまなく降り積もり またたくまに足あとをうめ なめらかな穴にしてしまった 列車の中で 詩心のできるのも 忙しい毎日の中で 与えられた恵みと思う 雪 積雪や特急とめる力持ち みるみるに足跡うめて雪や降り 止められし車外の雪にはしゃぐ子ら さらさらと降り積もりたり架線にも 大雪や大変なのと美しく |
| 巻頭言 詩の友 第50号 1980年6月 |
愛知県豊橋市で誕生し創刊された「詩の友」は、今回で五十号、よくもこれまで続けられたと感心すると同時に、続けられた理由は、毎号に御投稿があったこと御献金がよせられたことです。これからもみなさまのものとして発行されるにちがいない。ただ十二ページの詩集がキリストの香りを豊かに放つようにと願っています。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「花」 森 健二 |
あでやかに咲き誇れるこの花は クレオパトラの名あるバラなり 一つずつ株分け植えしアマリリス いつの日か咲く花を夢見る |
| 投稿 「ああわがため」 岸 一子 |
イエス君わが罪の十字架に かからせませりああわがためぞ 今在るはただ主の恩恵憐憫の み翼の陰おおわれつつに |
| 「名をあげようと」 |
聖書の時代 人々はシヌアルの平地に 生活を始め 頂きが天に届く塔を建て 名をあげようとした その言葉は バベルと呼ばれるようになったという 功績を残し 名をあげようとするそれは 人の心のうちにあるもの その心が その生活が くずれさる日があると思うと 空しさを覚える もっともっと 神に対面して生きることを 喜びとしよう 富 澤 誠 治 |
| 後記 |
思えば一号から二十五号は豊橋で、二十六号から今回の五十号は東京で、五十号の記念号はできませんでした。旧号のコピー版を連絡くださればお送りしますとありました。 (この時は、献金協力があったため求めに応じて送ったようです。) |
| 巻頭言 詩の友 第51号 1980年8月 |
1971年12月に創刊されて今まで続いて来ました「詩の友」は、これからも初心を忘れないで発行いたします。どうぞ気軽に作品のご投稿をお願いします。またお友だちにもご紹介いただき同好の友の輪が広げられるように願っています。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「二つの楽しみ」 森 健二 |
毎朝 私に二つの楽しみがある 一つは 聖書を読んで 神の恩寵に浴すること 一つは 外に出て 私の植えた植物と その成長を見ること そして 生命とは 何であろうかと 考える |
| 「ゴーブル宣教使」 |
ゴーブルは マタイ福音書を 日本語に 始めて翻訳した人 ゴーブルは 日本人に 人力車発明のキッカケを 与えた人 ゴーブルは 庶民に 語りかけた荒削りの 福音宣教使 日本にも 母国にも 墓碑のない神のしもべ 福音の使者は それでよいのだ キリストがあらわされれば それでよいのだ わけもなく 宣教師の生涯に 感激してしまった 富 澤 誠 治 |
| 巻頭言 詩の友 第52号 1980年10月 |
ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ピリピ人への手紙3章13.14節(新改訳) この聖句を、一事励進 と要約して生涯忘れてはならないこととして毎日を生き充実感を得ては感謝するものです。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 紹介 「小鳥」 ヘルマン・ヘッセ四歳の作 |
森の中の小鳥は ほんとにかわいいね きれいな歌を歌って するっと巣にすべりこむ |
| 投稿 「父を亡くした若き友へ」 岸本 望師 |
君は立派だった 父の不治の病の宣告にも 人まえではその顔くもらすことなく その目うるますことなく その言葉つまらせることなく ひたすら笑顔をたやさず 主によりたのむ者らしく 君は立派だった 父がいのちをかけた福音 幼き日より父から聞いた福音 いたずらに懐疑をいだかず いたずらに反抗することなく 素直に信じ 素直に従い 君は立派だった 君に期待する 悲しむ母をなぐさめ 弟妹たちを励ませ 父の残した信仰の遺産(たから)を 弟妹たちとわかちあい さらに豊かにするために 福音の戦士となれ 君に期待する |
| 52号の富澤誠治作 |
軽井沢の八月 八月に コスモスの花が みにくく たおれることもなく 姿勢を正して咲いている 八月に ダリアの花が 咲き始め 葉の付け根から 新芽が出て 次々とつぼみをつけている コスモスとダリアは 軽井沢で 生き生きとしていた チョモランマ登頂にせて 1980年5月3日 中国領から 世界最高峰 日本隊登頂成功 そのビデオを見ていると 空気を不自由なく吸い 水を水として飲むことができ 程よい気温の中で 生きていること もうそれがめぐみだ 生きる しかも働きをもって生きる それをもっともっと 大切にしよう |
| 巻頭言 詩の友 第53号 1980年12月 |
「旅」 旅行の中に 遊びがあり 仕事があり 会話があり トラブルもあり 人生の縮図がある 人生の旅路の一年が経過しました。一年一年を大切に生きることを願うものです。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「高橋牧師夫人」 酒井つやの |
待ちて居るよと常のたまいしよき人は 五十五歳を召され給ひぬ 木枯らしの過ぎて秋庭荒れし朝 君の訃報の切にかなしく |
| 紹介 「折れた枝」 ヘルマン・ヘッセ八十四歳の作 |
裂けて折れた枝が 来る年も来る年もぶらさがり 風に吹かれてかさかさと歌をかきならす 葉もなく皮もなく 朽ち枯れて あまりにも長い命に 死にきれぬ命に疲れて その歌は不届に粘り強くひびく 強情に しかしひそかにおびえながらひびく なおひと夏 なおひと冬 四歳の作(52号)もお読みください。 |
| 「ビリーグラハム国際大会」 |
町の中に人の流れがある それぞれ目的を持って 流れて行く ビリーグラハム集会に キリストを受け入れ 永遠をものにした 素晴らしい人の流れがあった 1980.10.22-26.東京後楽園球場 富 澤 誠 治 |