以前の詩
| 巻頭言 詩の友 第60号 1982年2月 |
詩の友に載せられた作品には型破りのものがあるか知れません。私は心が言葉にのせられていれば、それでよいと考えています。始めから詩の友は、そんな自由な詩集のつもりです。とはいえ初心を思うと同時に、やはりキリストがあかしされ、向上が目指され、読む人に祝福が持ち運ばれるようにと願ってい ます。 ![]() (表紙はぶどうの絵に変っていました。) (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「信仰生活」 森 健二 |
朝ごとに御言葉読みて祈りおれば いつとしもなく神に近づく わがために流し給える血潮あり いかで罪とがなお残るべし |
| 投稿 「心安かれ我なり」 酒井つやの |
七十余年酷使に耐えしこの足よ いたわりとらせラムジーホスピタル 健やかに今朝のめざめの恩寵の 深きにおそれ額深く垂る |
| 60号の富澤誠治作 |
何を見ている 人の弱点か長所か 仕事のできる量か心か 自分だけか他人もか 破壊か建設か 現状維持か前進か ああ 何を見ているのか それによって 大きく大きく ちがってしまう ああ救い 人の心の思い計ることは、 初めから悪であるからだ。 創世記8章21節 抵抗しないで 私もその一人です そう認めた時から キリストはわたしとあなたの救い主 |
| 巻頭言 詩の友 第61号 1982年4月 |
今日悲しいのは今日のこと 昨日のことではありません 昨日はどこにもありません 今日悲しいのは今日のこと これは、三好達治の"昨日はどこにもありません" の一節です。 聖書の「あすのための心配は無用です。」を思い出した。同時に、昨日に対する無責任に陥らず昨日は今日の歴史になっていくことを自覚すべきではないか、そう思った。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「この道は」 奥平彰信 |
亡兄と語り通したこの道は 今日は悲しい野辺の葬(おく)りに 老ひとり火葬場の椅子座し居りぬ 涙もかれて遺骨拾いて |
| 投稿 「しあわせの予感」 二宮妙子 |
澄みきった青い空 ながめているだけで ただ ながめているだけで しあわせの予感がする |
| 「エルサレム」 |
エルサレムよ。 もしも、私がおまえを忘れたら、 私の右手がその巧みさを忘れるように。 もしも、私がおまえを思い出さず、 私がエルサレムを 最上の喜びにもまさってたたえないなら、 私の舌が上あごについてしまうように。 詩篇137篇5.6節(新改訳) 1981年春 エルサレムをおとずれた その時は 飛行機に酔ってしまい こんな苦しい 飛行機の旅は もう ごめんだと思っていた それが一年を経過した今 エルサレムがとても慕わしい 野のユリの里だからだろうか 信仰の父アブラハムが イサクをささげた地だからか ソロモンの神殿が 建てられた地だからか イエスが十字架に つけられた地だからか 一度おとずれたからか わからないが とにかくエルサレムが慕わしい 同じ地球の上に住んでいるのに 1982年春 富澤誠治 |
| 巻頭言 詩の友 第62号 1982年6月 |
−日本をキリストへ−終末と世界宣教 このテーマで3000人の教職と信徒が出席して第二回、日本伝道会議が京都で開かれ、今日の課題と明日の課題が語られた。人は今日の課題にしっかり取り組み、明日の課題もしっかり意識する必要がある。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「歩み」 松 露 |
我がゴール何時の日なるか闇なれど 聖言頼り下り坂行く 家人の寝息気にとめ暗き朝 光求めて聖言開く 背信の行い多き日々なれど 聖手に守られ五十路に入りぬ |
| 62号の富澤誠治作 |
御所の美 寺町御門の中から 塀を見ていると 前方の山のきょくせんへ つきさすように 塀が線をなしている 塀の屋根を支える材木は 白くぬられた点 自然の曲線と 人工の線と点が調和して 実に美しい 庶民と皇を分ける 線でなければ もっと美しい おおきに 東京では ありがとう 京都では おおきに いつでも どこでも 隣人に感謝を 神に感謝を あらわすものでりたい |
| 巻頭言 詩の友 第63号 1982年8月 |
蟻は力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。箴言30章25節 (新改訳) この聖句によって、時を見逃さない生活、これは人の生き方における大切な教訓ではないか。夏にはどこでも見られる蟻によって今なさなくてはならない働きのために目覚めたいものです。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 紹介 三好達治詩集 |
「かよわい花」 かよわい花です もろげな花です はかない花の命です 朝さく花の朝がほは 昼にはしぼんでしまひます 昼さく花の昼がほは 夕方しぼんでしまひます 夕方咲く夕がほは 朝にはしぼんでしまひます みんな短命です けれども時間を守ります さうしてさっさと帰ります どこか帰ってしまひます |
| 63号の富澤誠治作 |
| 「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい」 花を お与えくださった神様 同時に 私を養ってくださる神様 そのお方を 野の花を見るごとに 聖書のことばを 思い出して 深く深く 意識いたします すばらしい 水がきれいって これほど すばらしいことはない 川底が見え 魚が住み つり人が居る 水がきれいなのは あたりまえではない きれいな水を保つ 京都の人々の 真剣な努力がある それがもうひとつすばらしい 鞍馬山の中で 義経は 昔 くらまの山の中で 学問と武芸を身につけた 山から都の姿を見ては 人生の目標を 夢見たろう そこで私は 人生を お導きくださる キリストさまを意識して キリストの栄光のために もっともっと 人生を夢見なくては |
| 巻頭言 詩の友 第64号 1982年10月 |
人を愛するって何だろう 物を与えることだろうか 異性に対することだろうか 喜んでする奉仕だろうか 犠牲を喜ぶことだろうか いやいや 人の真の姿を見ぬき 必要を見ぬき 神にとりなし 祈る そこに愛が育ち 福音宣教がともなってくる (こんな巻頭言になっていました。) |
| 紹介 「門」 河野 進 詩集 |
| 詩集「祈りの塔」などたくさんあります。 悔改めの祈りが ゆるされているかぎり 救いの門が開かれている かってこの門が 閉ざされた時がなかった |
| 投稿 「福祉作業所」 鈴木 実 |
今日もまたぼくは作業所で ボールペンの組み立て作業 みんなが親切にしてくれる たとえ重度身障者でも こうして自分にできる仕事を 与えてくれるから有難い それに 所長さんが やさしく 手の機能の訓練になると はげましてくれる ぼくは生まれてはじめて 人中に出て仕事をした 矢張り外に出て みなければ駄目だ 夕方母が迎えに来てくれる たとえ仕事の量は少なくても 一日一生懸命 働いた喜びと 満足感を味わいながら 家路につく 今日も一日 主のご愛に守られて 無事に過せたことを 心より感謝しながら・・・・・ |
| 64号の富澤誠治作 |
水 人は すこしほめられると うれしくて 有頂天になってしまう それにひきかえ水は おし上げても 押し上げても いちばんひくいところへ おりて来てしまう それでいて 生けるものを 確実に 活かす役目を はたしている 水によって 人の大切な生き方の ひとつを学ばせられた 恵 み 地上にたまった水は いつのまにか 腐ってしまう それが いつのまにか 不純物を残して 蒸発してしまう 時が過ぎて 地上が からからにかわいた時 純な水が おしげもなく まきちらされる このしくみを お造りになった お方を その恵みを きょうも一つ数える 忘れられない 一時間半の満員電車 車酔いでまいってしまった時 見かねた乗客が 席をあけてくれた 目的駅のホームへ フラフラと 血の気を失った 顔をして降り ベンチで時間を 気にしつつ 立ちあがることが できないでいる時 差し出された つめたい いっぱいの水で 生気をとりもどし 責任をはたして 無事に帰宅した 思い出になったその日の 席をあけてくれた人 水をくださった人 顔も覚えず 名前も知らない でも その親切が忘れられない |
| 巻頭言 詩の友 第65号 1982年12月 |
1982年クリスマスをお祝いします。 今年はヘンデルのメサイア日本語版の演奏を聞き感動しました。キリストの救いを年ごとに深く覚え新しい感動を味わうことは恵です。いつもキリストに対する信仰が新鮮にされていることはまことにすばらしい。それはキリスト者の生活に、愛、喜び、平和を豊かにするからです。 (こんな巻頭言になっていました。) |
| 投稿 「車椅子」 鈴木 実 |
車椅子は わが生命 わが足 これがなければ どこえも行けぬ これが あればこそ 作業所へ行って 仕事ができる そして多くの友を 知り得た 働く喜びも知った まさに車椅子は 希望のシンボル 母も年をとって 外出するのが困難になる してみれば車椅子は 我等親子の助け 職場には同じ身障者が 七宝焼と取りくんでいる ボールペンの組み立てもしている さあ ぼくも負けずに頑張ろう 明日に生きる希望の原動力 車椅子 |
| 投稿 「みことばによって」 酒井つやの |
罪なき者石にて打てとのたまいし 聖言かしこみ反省る日々 昨日より今日またすこしいやされて あると知りて足あげてみる 大いなるみゆるしの中にありと知り ひざ整えてまた喜びぬ |
| 65号の富澤誠治作 |
感動 「民よ 悩む民よ」 メサイアの第一声 痛みと失意の中で 聖書の語りかけを 聞いたであろう ヘンデル 人は 民族を超え 時代を超えて 悩みを経験しない者はない 悩みの中で 「おのが腕と知識に頼めば」 幸福が来るはずなのに 安息はない 悲しいかな悩む民 人には 勝利も平安もないのか 絶望だけなのか そうではない ヘンデルの感動は 私にも勝利 「ハレルヤ! 全能の主 治めたまわん」 よみがえりしキリスト このお方にこそ 悩める民の光 悩める民の平和 解放 勝利がある 秩 序 春夏秋冬 嬰児 少年 青年 壮年 老年 種 発芽 成長 開花 結実 神の造られた世界は どれもこれも 順番が保たれている だから美しい 人の世界で 順序が乱れる時 交渉は頓挫し 誤解が生まれ 破壊の動力となる 悲しく暗い境遇を もたらしてしまう しかし 当事者が 秩序の支配者 召されたお方に 目を転じると やっぱり美しい世界が出現する |