U歴代誌29:36 ヒゼキヤとすべての民は、神が民のために整えてくださったことを喜んだ。このことが即座に行われたからである。
整えてくださる神
きょうの箇所は、ヒゼキヤ王が行ったことを中心に記されています。ヒゼキヤ王は失われていた礼拝を回復したのです。前王アハズは、神に対して不信の罪を犯していました。その理由が、「アッシリヤの王が彼を悩ましたとき、このアハズ王は、ますます主に対して不信の罪を犯した。(U歴代誌28:22)」とありますように、困難な状況が押し寄せた時に、神に対する態度が固くなったのでした。そしてエルサレムの神殿へ異教を入れたようです。この行為が神への不信とされているのです。アハズ王の後継者ヒゼキヤ王は神への姿勢が正しい王でした。その結果としてきょうの言葉が語られたのです。
「ヒゼキヤとすべての民は、神が民のために整えてくださったことを喜んだ。(U歴代誌29:36
)」と記されている「整えてくださった」を調べましょう。
1、「整え」は、用意されることを含む言葉です。
きょうの箇所の前の方から読むとよく分かります。犠牲をささげる礼拝のことが記されています。礼拝のための犠牲の動物を用意することは簡単ではなかたでしょう。しかし神の恵みによって整えられたことを王も人々も意識することができました。
以前、ある教会の方が会堂建設献金のために、別に一つの仕事をしてささげました。そのあかしの中で、"ささげもののために健康が支えられ、仕事も与えられ、これらのことのすべてが神によって整えられた思いでいっぱいです"と語られたことを忘れることができません。
神は不思議なように整えてくださるお方です。
2、「整え」は、思い・考えをお与えくださることを含む言葉です。
ヒゼキヤ王は、自然に思い・考えができるようになったのでしようか? 思い・考えがまとまるまでには時間がかかるものです。特に前王、アハズがしていたことを改革することは生易しいことではありません。そうした中で思い・考えが整えられるのは神の恵みによることが強く意識されたこでしょう。
元カネボウ薬品の重役三谷康人さん。現在牧師は自叙伝の中で、左遷されたり降格されたりすることはショックなことでしたが不思議なように思い・考えつまり方策が与えられて乗り越えることができたと証言しています。
神は私たちの思いを整えてくださるお方なのです。
3、「整え」は、行動を導いてくださると言うことを含む言葉です。
人が行動を起こすには沢山の事例の中から選ばなくてはなりません。人に勧められてとか、将来を見込んでとか、自分の内に志ができたとか、などによって行動へと一歩を踏み出します。
本章には "いけにえ" という言葉が11回出てきます。全焼のいけにえとか罪のためのいけにえの二種類の言葉が出てきます。全焼のいけにえは、献身をあらわすといわれています。罪のためのいけにえは、罪の赦しを願う心をあらわしているといわれます。いけにえの数を考えると、さばききるのに苦労するほどの量でした。それでも果たそうとする行動力はどこから来るのでしょう。
ヒゼキヤにとって行動力の源泉は、導いてくださる神の恵みによりました。しかもそのささげものをするために「すべての民は…喜んだ」とあるように、礼拝を尊重する志が王にも民にも確実にされたのでした。
現在も私たちは礼拝の民として生きるために神は私たちを整えてくださるのです。
日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
富 澤
誠 治