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2015年 10月 「空しさからの解放
聖書の言葉

伝道者の書1:14 私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。

空しさからの解放

 私たちの生活の中には、空しく感じるようなことが少なくありません。そうした中であるべき大切なことを吸収して空しさから解放されるならば幸いです。
1、最高権威者のことば。伝道者の書1:14
 伝道者の書の1章1節には「エルサレムでの王」と自分のことを言っている人が書いたものであることがわかります。しかも「ダビデの子」と言い「伝道者」と名乗っているいる人は、ソロモン以外に該当者はありません。最高権威者であったのです。その人が「なんと、すべてがむなしいことよ。」と言っています。
これは、私たちにも当てはまることです。
☆自分の考えていたようにことが進展しないと空しさを感じます。
☆成し終えた時に、達成の喜びと同時に空しさを感じる二面性が人にはあるようです。
 伝道者の書の表現のように「風を追うようなものだ。」とは味な言葉です。風を利用すると凧はあがります。風力発電もできます。しかし風を追うと空しさが残るとは人生に当てはめることができ考えさせられます。

2、ニコデモに語られたことば。
(ヨハネ3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」)この箇所は、「さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。(ヨハネ 3:1)」とありますようにニコデモとイエスさまとの対話の形で大切なことが語られています。「風」と表現された「御霊」(聖霊)のお働きが明らかにされています。「 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。(ヨハネ 3:7)」 とイエスさまが語られたことと深く関連しているのです。そして神の国(ヨハネ3:3)とも関連して語られていることにも思いを込めなくてはなりません。つまり神の国のためには、新しく生まれると言うことは、どうしても必要なことです。このことをイエスさまは、ニコデモに語りましたがニコデモは、その時は理解しなかつたのです。そのニコデモがイエスさまが十字架につけられた時には、葬りのために「没薬」と「アロエ」を持って来たことが(ヨハネ 19:39 )に記されています。ニコデモが新しく生まれるという祝福にあずかったかどうかは記されていませんが少なくともイエス理解は進行したと考えられます。ニコデモにとって葬りの用意をすることは立場から考えて好意的に見なくてはならないでしよう。
 私たちは、イエスさまが語られたメッセージの「新しく生まれる」ことを受け止めなくてはなりません。その「新しく生まれる」ことは御霊によることを信じるのです。それがわかりやすく記されたのが
 次のことです。

3、新しくされている恵み。
「第二コリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とパウロが語ったのは真理です。
 聖霊によって「新しく生まれる」ことが「だれでもキリストのうちにあるなら」と言うことによって明らかにされているのです。キリストのうちにあるとは、キリストを信じ受け入れていることです。ただそれだけによって私たち人は新しく生まれた者としての歩みが自分の努力を越えた支えによってできて行くのです。そこに空しさからの解放があるのです。



      日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
                                 富 澤 誠 治

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