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誌上礼拝
2015年 5月 「突然のひかり」 
聖書の言葉

ヨブ19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。

突然の光

 突然の光を経験した人のことが聖書には記されています。特に知られている人はパウロでしよう。それは(使徒の働き9:3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。)とあります。ダマスコという町の近くで起ったことが記されています。そしてきょうの箇所のヨブは、ヨブ19章25節、ここでは光に照らされたこととしては記されていませんが「私は知っている。」といって神に対して目が開かれたことが三人の友人との会話の中で語られています。ここでは「私を贖う方は生きておられ、」は理解できる言葉です。次の「後の日に、ちりの上に立たれることを。」は学びが必要な言葉です。ヨブは自分をちりの上にある者と表現し、そのちりに等しい自分の上に神は立ってくださる。ヨブは苦しい境遇にありますが、神には忘れられてはいないことを表現している言葉として読むことができそうです。見捨てられてはいない、神の光に照らされているのです。
 続いて詩篇に登場する光を見ることにしましよう。
1、詩篇27:1「主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。…」
といっています。
 詩篇詩人にとって神は光でした。神は救いでした。神の光に照らされている限り恐れはないと告白しているのです。神の光に照らされた人の実感として見ることができます。神の光は、人生の困難・課題を乗り越える救い・勝利となるものなのです。この事実を知った詩人は「恐れ」がなくなっていったことを見ることができます。次の詩人の言葉は、もっと鮮明です。
2、詩篇119:130「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」
とは、良く知られた言葉です。
 詩人が言う「光」は「みことば(聖書)」だったのです。神のことば聖書に教えられると「光が差し込み」と表現するほど神の恵みを実感するのです。しかも「悟り」が与えられると言います。「悟り」は理解する恵み、識別する恵みをあらわす言葉なのです。
 詩篇詩人だけでなく私たちも聖書のことばによって光を得、悟りが与えられ、迷いから解放されることは、何らかの形で経験するものです。みことばの光に照らされることは恵みそのものです。みことばの恵みを知った人、みこどばの光に照らされた人は、悟りを得ることは間違いありません。増々聖書愛読者になって行くのです。それはみことばの光に照らされる恵みを知るからです。聖書によって突然の光を見ることとなるからです。それは今まで知らなかったことが分かる恵みなのです。人生の勝利につながる恵みです。
3、詩篇36:9「私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」
とは実に不思議な表現です。
 光が差し込めば、見えなかったものが見えるようになります。それで十分な表現のように思えますが「光のうちに光を見る」というのです。ここで大切なことは、「見る」です。神の光に照らされる時に、今まで知らなかったことが理解できるようになり、感謝・感激・喜びとなるのですね。それが詩的に表現されると「光のうちに光を見る」ということになるのですね。詩篇には素晴らしい真理が詩的な表現によって明らかにされていることが多いのです。
 突然の光によって得る恵みは、ヨブのように、「私は知っている」となり、パウロのように、キリストを知ることとなるのです。

      日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
                                 富 澤 誠 治

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