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誌上礼拝
2015年 7月 「真の隣人となるために」 
聖書の言葉

ルカの福音書10:30〜37
10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
10:31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
10:33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
10:35 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
10:37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

真の隣人となるために

 きょうの箇所は律法学者(ルカ10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」) の質問に答える形で話題は進展しています。そして通称 "よきサマリヤ人のたとえ" として知られている箇所です。このたとえによって隣人への愛が語られているのです。真の隣人となるために、何を知り・何を心掛け・何をするべきなのかを発見することができるならば幸いです。
1、人を知ることです。
ルカの福音書10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
 ここに、強盗に襲われ半殺しのひどい目に逢っている人のことを見ることができます。つまり傷ついている人です。
 エリコは大きなオアシスです。そこに行くためには険しい道をたどらなくてはなりません。強盗の出没するところでもあったようです。反対にエルサレムへ行くにも同じ危険があったのです。エリコへは商売でしようか、エルサレムへは礼拝です。どちらえ行くにも多少の荷物を持っています。お金も持っていたでしょう。それだけ狙われる危険があったのです。「ある人」と言われた人物が強盗に襲われました。傷ついてしまったのです。
 私たちの時代にも傷ついている人々は決して少なくありません。自分も人も傷ついているのです。この事実を知ることが大切なことです。
2、傷ついた人に対する人々の反応を見ましょう。
ルカ10:31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。 10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。 10:33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、 10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
 祭司・レビ人・サマリヤ人が登場します。
 ここで注意したいことは、 "見た" という共通の事実です。祭司とレビ人は「通り過ぎ」ていきました。サマリヤ人は「かわいそうに思い」と心が現わされています。 "見た" という事実に対して二つの反応が語られています。
 イエスさまは、二つの反応を語られた後に(「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。ルカ 10:36 」)と問われました。
 祭司・レビ人には、それなりの理由があったことでしょう。しかし見ましたが通り過ぎて行ったのでした。
 私たちも、傷ついた人を見た時いつも親切にすることができるとは限りません。できないこともあるのです。これも現実です。決して責めることはできないように思います。
 現在の社会の中には、多様な形で傷ついている人々がいます。その人々に対して何ができるかと言えば、できないことばかりが思い浮かびます。これが私の現実です。できない現実を覚えながら、
3、イエスさまの勧めを見ましょう。
ルカ 10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」10:37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」と勧めているのです。
 ナーウェンは "人間は、自分も傷を持っていながら他者をいやすことのできる存在" と言う意味のことを言っています。心に止めなくてはならない言葉です。
 私たちは、自分も傷ついていますが、イエスさまの勧めのように傷ついた人々の隣人となることができるのです。それはイエスさまご自身が私の真の隣人となっていてくださるからです。ある方の言葉に真の隣人になるための方策を発見します。
 ☆偏見をもって見ないようにしましょう。
 ☆傷ついている人の共感者になりましょう。
 ☆自分も傷をいやしてさしあげることができると信じましょう。
と言っていました。自分も傷ついているから寄り添うことができるのかもと思えます。

      日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
                                 富 澤 誠 治

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