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2015年 6月 「おとずれた祝福」 
聖書の言葉

U列王記5:1〜19
5:1 アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士で、ツァラアトに冒されていた。
5:2 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、
5:3 その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」
5:4 それで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。
5:5 アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。
5:6 彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。「さて、この手紙があなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを直してくださいますように。」
5:7 イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを直せと言う。しかし、考えてみなさい。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」
5:8 神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
5:9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。
5:10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
5:11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。
5:12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。
5:13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
5:14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
5:15 そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し、彼の前に来て、立って言った。「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」
5:16 神の人は言った。「私が仕えている主は生きておられる。私は決して受け取りません。」それでも、ナアマンは、受け取らせようとしきりに彼に勧めたが、彼は断った。
5:17 そこでナアマンは言った。「だめでしたら、どうか二頭の騾馬に載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから。
5:18 主が次のことをしもべにお許しくださいますように。私の主君がリモンの神殿に入って、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります。それで私もリモンの神殿で身をかがめます。私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように。」
5:19 エリシャは彼に言った。「安心して行きなさい。」そこでナアマンは彼から離れて、かなりの道のりを進んで行った。

おとずれた祝福

 ここにはナアマンのことが記されています。ナアマンはアラムの将軍でした。しかしツァラアトに苦しんでいたようです。高い地位にあっても病の苦しみ、痛みは誰でも味わう共通のものです。そうしたナアマンに「おとずれた祝福」があったのでした。
1、おとずれた祝福はイスラエルの少女からのものでした。
第二列王 5:1〜5 (ご自分の聖書でお読みください。)
 この少女の名前は記されません。ただ捕えられて来ていた者であったこと、ナアマンの妻に仕えていたことが記されています。
 その少女は、何気なく言ったのか、意図的に言ったのか、どちらとも判別はつけにくい。ただ主人夫妻の痛みに同情したのでしょうか三節に「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」と言った言葉が記されています。
 捕虜と言う身分の中でも伝えた発言は大きな影響をもたらせます。イスラエルの少女が言ったことによってナアマンに祝福のおとずれとなったのです。
 私たちも生活の中で、どんな発言をしているかは重要なことです。自分では小さな発言と思っても祝福を持ち運ぶものとなるのです。信仰者は言うことを大切にしなくてはなりません。
2、おとずれた祝福は神の人エリシャからのものでした。
( 第二列王 5:10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」)
 贈り物をたずさえ礼儀を尽くしてエリシャのもとへ来たナアマンでした。それに対して神の人エリシャの対応は、そっけないものでした。ナアマンが怒るのも無理はありません。
 読み進むとナアマンの部下のなだめが出て来ます。(第二列王 5:13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」)がそれです。
 ナアマンの偉いところは部下の言ったことに同意して神の人エリシャの指示を実行したことです。
 どんな立場にあっても、他の人が言っていることに耳を傾けることは大切なことです。それが神の人エリシャのことばに応答することとなったのです。
 もたらされる祝福の多くは「聞く」ことによって起ることを心に留めることは幸いです。聞く耳のある人は幸いです。聞く心のある人も幸いです。そのような人に祝福はおとずれるのです。ナアマンはツァラアトがいやされたのでした。第二列王 5:14 節には、「元どおりになって」「幼子のからだのようになり」「きよくなった」とあります。ナアマンに起ったことが三つの言葉であらわされているのです。その
3、おとずれた祝福はイスラエルの神からのものでした。
第二列王 5:15〜19 (ご自分の聖書でお読みください。)
 ここにはナアマンの感謝があらわされています。同時にアラム王の前に立たなくてはならない心の戦いも記されています。
 第二列王 5:15 節のナアマンの感謝のことばを確認しましょう。「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。」
 第二列王 5:17 節のナアマンの決心も心に留めましょう。「しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから」
 第二列王 5:18.19 節(ご自分の聖書でお読みください。)のナアマンの心の戦いにも心を留めましょう。将軍であってもアラム王に仕える身でした。戦いもあったのです。
 何といってもナアマンにもたらされた祝福は神からのものです。まさにおとずれた祝福であったのです。私たちの生活の中には、おとずれた祝福があってもナアマンのような王の前に立つと言う現実と心の痛みがあることを受け止めなくてはなりません。そして少女が言ったことに目をとめて自分が信じていることを言葉に表わすことは大切なことなのです。少女から学べるようにキリスト者の言葉が祝福を持ち運びます。


      日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
                                 富 澤 誠 治

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2015.3.1.心に留めるべきこと

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