ゼカリヤ3:8 聞け。大祭司ヨシュアよ。あなたとあなたの前にすわっているあなたの同僚たちは、しるしとなる人々だ。見よ。わたしは、わたしのしもべ、一つの若枝を来させる。
しるしとなる人
きょうの箇所は、預言者ゼカリヤが、大祭司ヨシュアについて見せられ語られた神のことばです。
ヨシュアと言う名前はイスラエルの社会ではありふれた名前のようです。モーセの後継者ではないエホツァダクの子、ヨシュアと(ゼカリヤ6:11
あなたは金と銀を取って、冠を作り、それをエホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、6:12
彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。
6:13 彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。』)とあります。これによってヨシュアという人物の特定ができるのです。
大祭司ヨシュアに与えられた神のことばが「あなたとあなたの前にすわっているあなたの同僚たちは、しるしとなる人々だ(ゼカリヤ3:8
)」とされています。
1、同僚(協力者)がしるしとなる人
ヨシュアは「よごれた服を着て(ゼカリヤ3:3 )」いたことが記されています。おちぶれた大祭司の感じです。そのヨシュアはサタン(悪魔)に訴えられていたようです。(ゼカリヤヤ3:1
) そうした中で神は預言者ゼカリヤが大祭司ヨシュアを励ますために用いられました。
ゼカリヤ時代は、王の時代は崩壊し、預言者および大祭司が活躍しなくてはならない時代を迎えていたのです。その大祭司が、よごれた服を着て役目を果たすことが難しかったと考えられます。そのヨシュアに役目を回復するために預言者ゼカリヤが立てられたのでした。(ゼカリヤ3:4〜7
ご自分の聖書で読みましょう。)
そして、大祭司ヨシュアと同僚たちは「しるしとなる人々」と言って神の用に役立つ人々とされたのです。
2、しるしとなる人は生ける聖書となる人
第二コリント3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
ここはパウロがコリントの教会の人々に語りかけている箇所です。第二コリント3:1〜4
を読むと良く理解できます(ご自分の聖書で読みましょう)。ここではパウロが神に立てられた励ます者、コリントの教会の人々が励まされる人でした。パウロはコリントの教会の人々が「キリストの手紙」つまり生ける聖書であると言っているのです。
コリントの教会は健康な状態にはありませんでした。むしろ問題があふれていたのでした。その教会に向かって「キリストの手紙」生ける聖書となるように勧められているのです。パウロの勧めを受け止めたコリントの教会はキリストをかしらとして使命を果たすキリスト者の群れとなることができたのです。
これは現在、私たちも変わりません。パウロの励ましを聞いて、この時代のために、いける聖書とならせてくださいと祈りはじめたら、しるしとなる人となるのです。
しるしとなる人、つまり、いける聖書とならせてくださいと祈る人によっていける聖書となる人々が起こされ、そこから主の用を果たす忠実な人々が活躍することとなることを信じるのです。
3、しるしとなる人は私です 第一コリント4:16 ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。
パウロは人には勧めて自分は部外者ではありませんでした。むしろ「私にならう者となってください」と言っています。しるしとなる人は他の人ではなく「私」です。
しるしとなる人は私ですと決心することは神への応答です。神はしるしとなる人となることができるように支え助けてくださいます。
しるしとなり、いける聖書となった人の生活を読んだ(見た)人々が聖書のことばは真実ですと告白してキリストを救い主と信じ生活する人となるように願うものです。
自分が "しるしとなる人となることができますように" と祈りはじめたいですね。
日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
富 澤
誠 治