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誌上礼拝
2014年 8月 「根拠ある発言」 
聖書の言葉

民数記14:1〜9
14:1 全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
14:2 イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。
14:3 なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」
14:4 そして互いに言った。「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」
14:5 そこで、モーセとアロンは、イスラエル人の会衆の全集会の集まっている前でひれ伏した。
14:6 すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、
14:7 イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。
14:8 もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。
14:9 ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」

根拠ある発言

 発言者はヨシュアとカレブでした。この発言が出るに至った背景を知る必要があります。(民数記13:17 モーセは彼らを、カナンの地を探りにやったときに、言った。「あちらに上って行ってネゲブに入り、山地に行って、13:18 その地がどんなであるか、そこに住んでいる民が強いか弱いか、あるいは少ないか多いかを調べなさい。13:19 また彼らが住んでいる土地はどうか、それが良いか悪いか。彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営かそれとも城壁の町か。13:20 土地はどうか、それは肥えているか、やせているか。そこには木があるか、ないかを調べなさい。あなたがたは勇気を出し、その地のくだものを取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。)と記されています。モーセはイスラエルの人々がこれから入って行く地カナンの偵察を部族の代表12人に命じました。その偵察内容は沢山ありました。偵察後の報告は、よく調べるとどちらも片寄っていました。どのように片寄っていたのか調べて見ましょう。私たちの信仰生活の在り方に良い教訓となるでしょう。
1、12人中の10人の発言
(民数記13:27-29. 31-33.ご自分の聖書で読みましょう。)
 12人の偵察隊が見たものは共通でした。しかし発言は異なります。過半数どころではない12対10の圧倒的多数の発言を調べて見ましょう。この人たちの報告は、モーセの調査項目にそっています。ただ欠けていることは神への期待です。そのために自分たちの弱さ・小ささしか見えません。
 この報告に大多数は賛成・同意しました。
 とかく消極意見には同意しやすい傾向が人の内にはあるようです。無理や危険をおかしたくないと思うのは誰でも持っていることです。
 神が何を求めておられるか祈り問う姿勢に欠けがあったように考えられます。
2、12人中の2人の発言
(民数記13:30-14:9.をご自分の聖書で読みましょう。)
 12対2の発言は、説明不足のある無謀な発言のように聞こえます。この発言ではあとの10人は賛成しないだろうなと感じます。報告を聞いている人.たちも賛成する勇気はわかないだろうなと思えます。民数記14:7-9.を聖書の言葉で読むとそこには説明もありますから説得力はできているようにも思えます。
 とは言え一度反対した人々の思いを変える程の説得力はありません。一つの主張としか見えません。
 ここで民主主義の原則を覚えましょう。それは多数の意見によって決定される方法です。ややもすると小数意見は切り捨てられる傾向を持っています。これは民主主義の欠点かもしれません。
 ヨシュアとカレブ二人に欠けていたことは、神は私たちに何をさせてくださるのか「祈って確かめよう」と提案することでした。
3、報いのともなう発言
 二つの発言のどちらも片寄っていました。そうした中で神は何を望んでおられるのかを知ることは大切です。心に留めたいことは、発言には報いがともなうということです。
 1)見ることがないという報い
(民数記 14:23 わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。)
 10人の発言は、カナンの地を「見ることがない」という神の決定を生み出してしまいました。神が願っていることは何か、それを祈り求めない報いは「見ることがない」という現実です。
 2)所有するようになるという報い
(民数記14:24ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。)
 発言には乱暴な主張が見られますが「ただ、主にそむいてはならない」とする主なる神を当てにした根拠ある発言があります。その発言に対する報いが、「彼」つまりヨシュアとカレブと「子孫はその地を所有するようになる」というものでした。
 3)共通な報い
(民数記14:33あなたがたの子どもたちは、この荒野で四十年の間羊を飼う者となり、あなたがたが死体となってこの荒野で倒れてしまうまで、あなたがたの背信の罪を負わなければならない。)
 二つの発言のどちらも片寄りがありました。神は何を求めておられるのかを問うことに欠けたのです。その結果、共通の報いとして「この荒野で四十年の間羊を飼うものと」なるということでした。
 神が願っていることは何か問うことに欠けのある者は訓練されなくてはならないようです。


      日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
                                 富 澤 誠 治

2014.7.1.「安息の必要」
2014.6.1.「トマスに起こったこと」
2014.5.1.「信仰の人の祈り」

2014.4.1.「苦しみに打ち勝つ」
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2014.2.1.「悟りを与えてください」
2014.1.1.「願いは何か」