出エジプト16:29
主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。
安息の必要
1、安息を心に留めないと働き続ける
旧約聖書が言う安息日は七日目で現在の土曜日に当たります。神は創造の七日目に休まれました。「神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。創世記2:2.3)」神は安息を人に命じられたのでした。それが出エジプト16:29の箇所のことです。
私たちの国には安息(休息)という考えは非常に薄いものがあります。昔は休みは一日と十五日でした。休みなく働くことが美徳と考えられるような文化の中に置かれて来たのです。こうした考えは今でも存在します。これが原因だったと確定はできませんが人生50年と言われた時代は長く続きました。
聖書の世界の人々は「安息」を大切にいたしました。それは神が定めてくださったからでした。もっとも時代の流れの中では厳しい規定として生活の制限事項になってしまい本来の姿が失われました。それに対してイエスさまは「安息日は人間のために設けられたのです。(マルコ2:27)」と言われ、「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。(マルコ2:27)」と本来の姿を取り戻すように語られたのです。
私たち人は働き続けることには無理があります。安息・休養が必要なのです。働き続けることによって健康を失ったり、情緒が不安定になったりするのです。
2、安息を心に留めないと遊びのために働く(こういう生き方もあかも知れません。)
労働には目的があるものです。生活のためであったり、使命のためであったり、趣味であったりいたします。基本的には労働はどの目的が正当で正しいというこはできません。そこには働く人の人生観があるからです。働くことは自分が思っているような人生を生み出します。どんな目的で働いているのか自分に問うて見ることは大切です。
聖書の世界の人々は、安息をおろそかにした時、他国の神を礼拝する宗教的逸脱を招き込みました。
日本の宗教事情を見ればすぐわかります。祭りと快楽がセットで時代は進行したのです。今でもこのことは変わりません。祭りに行くことは楽しみがあるからです。
安息に心を留めないと快楽主義(生活に気分転換や力をもたらす趣味や楽しみを否定するものではありません。)の人生を築くこととなってしまいます。そして快楽のために働くという現実が起ってしまいます。
快楽のためにはそれなりの利益が必要です。どうしても利益優先になってしまい、安息(休息)をおろそかにして健康を失ったり、心の平安を失ったりして悪い循環を持ち込んでしまうのです。
3、安息は人生を確かにする秘訣です。
聖書の中の人々は、神が命じられたように「安息」を大切にしている時は祝福された生活をいたしました。しかし安息を無視した時には生活の混乱を招いたのです。安息は人生を確かにする秘訣なのです。
では、どうしたら安息を自分のものにすることができるのでしょう。
☆自分なりの安息で満足しないことです。
☆神の命令を忘れないことです。
☆安息への招きがあることです。この招きに応ずることです。
イエスさまは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28.)」と語り招かれました。自分で作り出す安息は疲れるばかりで真の安息はありません。イエスさまは「あなたがたにわたしの平安を与えます。(ヨハネ14:27.)」とも言われました。イエスさまから来る平安は人に真の安息を与えます。この事実を知ることは幸いです。
日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
富 澤
誠 治