ヨハネの福音書20:26〜31
20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。
20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
トマスに起こったこと
キリスト信者になると決まって起こることは変化です。トマスから変化を確認しましょう。
1、勇ましいトマス (ヨハネ11:16 そこで、デドモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。」)
ここでのトマスは「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。」と勇ましい発言をしています。なぜトマスが勇ましい発言をしたのでしょう。この発言に至るいきさつを調べましょう。
トマスの発言はラザロが住んでいた場所を調べると理解できます。ヨハネ11:7.8
とヨハネ8:59(ご自分の聖書で確かめましょう。) 11章はラザロの死のことが記されています。その場所はベタニヤでした。ラザロはベタニヤで生活している人でした。ベタニヤはエルサレムのすぐ近く(ヨハネ11:18.)です。
トマスの勇ましい発言が出た地はエルサレムから遠く離れていたようです。ヨハネ10:40(ご自分の聖書で確かめましょう。)には、ヨルダン川の向こうの地のバプテスマを授けるヨハネが活動していた所でした。そこにイエスさまはおられたようです。イエスさまはそこからエルサレムの近くのベタニヤへ行こうと言われたのでした。いつもおとずれる憩いの地ベタニヤ。そのベタニヤで不幸が起りました。(ヨハネ11:6
そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。)ラザロの死を聞いて二日の後「もう一度ユダヤに行こう。(ヨハネ11:7)」とイエスさまは言われたのです。その地で石打ちの刑を受けそうになったことが、ヨハネ10:30.31(ご自分の聖書で確かめましょう。)に記されています。
トマスは、石打ちになりそうになった地のことを忘れることはできません。いのちの危険がある所です。そこへ行くには、それなりの覚悟が必要であったのです。その状況がトマスの勇ましい発言となっているのです。
2、信じないトマス ヨハネ20:19〜25(ご自分の聖書で確かめましょう。)
時は過ぎ、20章へ飛びます。その時は、イエスさまが十字架に掛けられて死なれた後でした。そのイエスさまの遺体が、墓には無い、復活されたというのです。
トマスはイエスさまが復活されたことを聞いても☆すぐには信じられませんでした。☆弟子たちは「恐れ」(ヨハネ20:19)ていました。トマスも、その弟子たちの一人です。ところがトマスは戸が閉められた部屋にはいなかったようです。(ヨハネ20:24
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。20:25
それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。)トマスは復活されたイエスさまに会ってはいません。だからイエスさまに会ったという弟子たちの言葉はすぐには信じられなかったと考えられます。
信じないトマスというよりも、正直に自分の心を言葉にあらわしたという方が当たっているでしょう。どうであれ「決して信じません」と言ったことは事実です。
そのトマスに、イエスさまはご自分を示されたのです。
3、信じたトマス ヨハネ20:26〜31
復活のイエスさまに会ったトマスは事実を否定する人ではありませんでした。「私の主。私の神。」と言ったのは礼拝でした。復活の主の前にはただ礼拝あるのみです。その
トマスに語られたイエスさまのことばが続きます。それはトマスだけのものではなくすべての人にかかわることとして語られています。
トマスは復活のイエスさまを見て信じました。もっと幸いなことは「見ずに信じる(ヨハネ20:29)」こととされたのです。現在、私たちはイエスさまを見ることはできません。しかし聖書によってイエスさまを見るという出来事が起るのです。これが信仰者に起こる変化です。
ヨハネ20:31には、
☆「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが、信じるため」
☆「あなたがたが信じて、イエスによっていのちを得るためである」と二つのことが語られています。
これこそ神が人に聖書を与えられた目的です。キリスト者はトマスと同じように「いのち」が与えられた者、イエスさまが復活して共にいてくださることを信じる者としてたくましく生きるのです。
日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
富 澤
誠 治