第一列王記19:2-8
19:2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
19:3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
19:4 自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
19:5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。
19:6 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。
19:7 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。
19:8 そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。
食べなさい
きょうの箇所はエリヤに与えられた神のお取り扱いを見ることができます。第一列王記18章では、バアルと対決して勝利に輝いたエリヤの姿を見ることができます。ところが第一列王記19章に入ると一変してしまいます。アハブとイゼベルを恐れて逃げるエリヤの姿を見ることができます。エリヤも一人の人であって力ある働きは神の恵みによったのだと分かります。
きょう箇所の「食べなさい」を見る前に、
1、バアル神に対する勝利を見ましょう。第一列王記18章
エリヤは 「…火をもって答える神、その方が神である。」(第一列王記18:24)と言って人々の同意を得てバアル神との対決をいたしました。そして火をもって答えてくださったエリヤの信頼する神が神であることが人々に受け入れられ、バアル神を崇拝する人々は敗北したのでした。
このことをそのまま当てはめて今もそうなると早合点してはなりません。聖書に、このような記事があるのは、他宗教と対決しなさいという勧めではないのです。残念ですが歴史の中には他宗教との対決をして不幸な現実が残されていることに学ばなくてはなりません。かと言って妥協、同調を勧めるのでもありません。
エリヤの時代にバアル神との対決をしてエリヤの神が真の神であることが明らかにされたと言うことです。
現在、私たちは聖書が啓示する神を神とし人々に明らかにすることが大切なことなのです。
2、イゼベルを恐れて。(第一列王記19:3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、)とあります。
イゼベルは外国から迎えられたアハブ王の王妃でした。アハブ王の話しを聞いたイゼベルは行動を起こします。その発言が(第一列王記
19:2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」)とあります。内容は、エリヤを亡き者とする宣言でした。それを恐れてエリヤは、逃げの姿勢に入ったのでした。
エリヤの行動は分かるような気がします。人は自分に不都合なことが迫っていることを知ると逃げに入るものです。ここでエリヤが逃げに向かったことを責めている言葉は見当たりません。むしろエリヤは神の取り扱いによって新しくされて行く姿を見ることができるのです。逃げて行った所は、ベエル・シェバでした。そこから「一日の道のり」(第一列王記
19:4) は厳しい砂漠の中です。そこで「起きて、食べなさい。」第一列王記 19:5
と言われたことが記されています。
「食べる」ことは腹がすいたから食べるという人の基本的姿だけではありません。「食べる」ことに神からの意味が示されているのです。食べなければ人は死を迎えます。神はエリヤに「起きて、食べなさい。」と言われたのは、生きて神の用を果たしなさいと言うことでした。
私たちも、糧が与えられていることは、食べて神がお与えくださっている本来の用を「果たしなさい」
と言われていることを食べる度に覚えなくてはならないのです。
エリヤは食べて「ホレブ」(シナイ山)まで行きました。シナイ山へ登られた方は、エリヤの泉を見られました。岩ばかりの世界に木が茂り井戸があるのです。そこはモーセが十戒を与えられた地でもあります。その地でエリヤは神からの励ましを受けることとなつたのです。
3、神の力づけ。
第一列王記 19:11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。19:12 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
「かすかな細い声があった。」とあります。エリヤは神の語りかけを聞いて力づけられました。これが神の支えであることを知らなくてはなりませんでした。
神は現在に生きる私たちも聖書の言葉によって力づけようとしておられるのです。
日本同盟基督教団 正教師(外務支援教師)
富 澤
誠 治