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| 詩の友 第118号 1992年2月 |
投稿 「山茶花」 鴨下わたる きびしい寒さの中に 赤と白の花を咲かせ みどりの葉を茂らせる 山茶花を見た こごえるような日も ふるえおののく時も 愛に燃えけがれなく 常にうるおっていた 投稿 「空色小花」 渡辺久美子 冬の陽だまりの中で 空色小花が咲いている 青い空の色をそのまま うつしたように 群れて咲くイヌフグリの花 しばし足をとめてみつめてしまう そんな かわいい小さな花 118号の富澤誠治作 冬の落葉樹 落葉樹の 冬の姿を 見ていたら 希望が見えて来た きびしい冬には 枯れ木であっても 春を迎えると 新芽を吹き出す それを思うと 新しい 希望に 心が燃える 求めよ 「わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。」詩篇2篇8節(新改訳) なんとすごい約束 聖書のことばに たじろいでしまう しかし 約束を信じて 歩むか 歩まないかは わたしの課題 信じよう わたしに求めよと 言われるお方を 信じる心を 持ったら 気持まで 広くなってしまった 失ったもの 地下鉄の 定期券を失った それがくやしくて 涙していたのに 見つかったら うれしくて 歌まで作った娘 歌声を聞きつつ 一匹の羊を 見つけて 大喜びした羊飼い 銀貨一枚を 見つけた女の喜び 放蕩息子が 帰って来たと 大喜びした父 ルカの福音書15章の 失ったものを 見つけた喜びを かみしめた 心を新しく 一粒の麦と死したるナディーンの心受け継ぐわが生涯に (私にキリストを信じるキッカケ、献身のキッカケを作ってくれた宣教師夫人、日本脳炎におかされて天国へ、遺体は軽井沢へ埋葬された。その事実に応えて歌った心の歌です。) 決心した 日のことを 思い出し 日本同盟基督教団 百周年の 記念集会で 心を新しくする 主キリストに 従うことは 何にも勝って 私に必要なこと 収穫のために 心を新しくした その日 軽い心臓発作 二時間の 安静の後 百周年記念大会の会場を あとにする 心を 新しくして |
| 詩の友 第119号 1992年4月 |
投稿 「風つよし」 渡辺久美子 風つよし 春の風 木々をゆらし葉音をたてる 風つよし されど心さわがず 主にあって生かされている 心やすらか 119号の富澤誠治作 冬の花 日本では 冬の花 洋らん 同じ環境に 置かれているのに デンドロビュームの五鉢 三つの鉢は 花をつけたのに 二つの鉢は 高芽ばかり 来年は 花を咲かせるように 願いながら 開花鉢のかげに そっと置く 期待が込められて しおれ花 本年は 押花材にするのは やめておこう 思っては見ても 花がしおれかけると 切りとって 押花材 しおれた花が 電話帳に はさみこまれて 別の美しさを 取りもどす しおりにして 聖句を 書き入れ 落款を押せば 心のこもった みことばの プレゼントとして 役目をはたす みことばを 引き立たせる 役を なすべきこと 「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。」ホセヤ書10章12節(新改訳) 旧約聖書 ホセアの預言 「ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。」 祝福の預言は 実現しなかった イスラエルは 滅びてしまった なぜだろう 「正義の種を蒔」かなかったからか 「耕地を開拓」しなかったからか 「主を求める時」に 求めなかったからか イスラエルの歴史によって 今 私たちに なすべきことが 語りかけられている イースター 「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。」イザヤ書43章1節(新改訳) 「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」イザヤ書43章5節(新改訳) 恐れがいっぱいの中で イザヤ書の ことばを 読んだだけで 恐れがなくなり 不思議な 平安が心を支配する よみがえられた キリストが ともにいてくださる イースターのめぐみ |
| 詩の友 第120号 1992年6月 |
紹介 足跡 人生を振り返ると いつも 二組の足跡があった それは 私と 共にいて下さる 主イエスの 足跡だった しかし 困難な時 悲しみの時には 一組の足跡しかなかった "主よなぜですか"と 私は問うた 主は言われた "あなたが 苦しい試みにあった時は わたしがあなたを抱き上げて 歩いていたからです" 足跡より 投稿 鴨下わたる 希望 冬にさえも 赤く咲く花がある 暗くても 輝く星がある 貧しくても ほほえむ妻が共にいる 確かさ 暗い夜は 日の出によって 消えていった 忍耐の日々は 輝かしい明日となる 試練の中のある日 思わぬところからとどいた 贈り物によって 神の確かさを知らされた 「私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。」ローマ人への手紙8章24節(新改訳) 時 めざまし時計の 非常なベルに 時間の現実を味わう どんなに ねむくても 今ふとんに入ったばかりかと 感じられても 確かに 今は朝の五時 人生の総決算をする日も 待ったなしでやって来る 「機会(とき)を十分に生かして用いなさい」 聖書 融通 要領が良く 努力を惜しまぬ人が 賞賛される だが 毎日どんなに忙しくても まず 聖書を読んで お祈りをしなければ 生活が始まらない そんな融通のきかない人を 神さまの方が融通して 生活を保証してくださる 投稿 「平和」 渡辺久美子 武器を捨てて 自我を捨てて 欲望を捨てて 世界中の人が もっと他の人のことを思いやり み言葉に耳を傾けたら 本当の平和が与えられる 「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」マタイによる福音書5章9節(口語訳) 120号の富澤誠治作 人って不思議 きびしく対すると きびしく返って来る ふきげんに対すると ふきげんに返って来る 悲しく対すると 涙か 励ましが返って来る 暗く対すると 不安が返って来る 喜んで対すると ひにくか 笑いが返って来る 人って不思議 祈り 「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。」詩篇4篇1節(新改訳) 祈りは 私の問題を 解決するためばかりでなく 神さま あなたのご目的が 行われるためであることを もっと分からせて いただくためでした でも解決すると うれしくって 神さまのご目的が 達成されることが分かります 岩ツツジ 園芸種でなく 野生のまま 春蘭と 岩ツツジを 寄せ植えされた 岩ツツジが 三輪花を咲かせた 花を楽しむ私に 送ってくださった方は キリストを信じて 今は天国 |
| 詩の友 第121号 1992年8月 |
紹介 「友よ聞こう」 浜田耕司郎作 友よ聞こう あの息づかいを 心すさみ憎み合う時 まぶねに眠る 幼児の遠く かすかな息づかいを 友よ聞こう あの息づかいを 心おごり高ぶる時 貧しい人に惜しみなく尽くす イエスの息づかいを 友よ聞こう あの息づかいを 思い悩む戦いの日に 十字架上 キリストの あえぐ苦しい息づかいを 友よ聞こう あの息づかいを 罪を悲しむ時 信じる者によみがえる 主の復活の息づかいを 友よ聞こう あの息づかいを 恵みの時 救いの日に 父と子の愛 聖霊のいのちあふれる息づかいを 121号の富澤誠治作 約束 「わたしはまたその地に平和を与える。」レビ記26章6節(新改訳) 名古屋へ来る時 「私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。」エペソ人への手紙 3章7節(新改訳) パウロの確信を 私のものとして 決心した 福音に 仕える任務を 初心にかえって 意識させていただいた 私にとって 神のご命令に 生きることは 平安 イヌノヒゲ 名古屋市天白区 植田山 草むらを見ると 太陽の光を受けた イヌノヒゲの じゅうたん 写真機を 持っていれば 写しただろう 画材を 持っていれば 絵にしただろう 脳裏に きざみ込まれ 文字となった 軽石の中の寄せ植え ヤブコウジ 春には 白い花を咲かせ 夏には 青い実をつけて 涼しそう 秋には 実の色が変わり 冬には 赤い実をつけて 輝いている イヌノヒゲ 水が多すぎるのか 長くのびて 薄紫の花を 一輪づつ 咲かせて しおれる ヘラシダ ヤブコウジの 陰にかくれて 緑をいつも 保っている 軽石には コケがついて 一つの世界を つくっている 礼拝の喜び 昔イスラエルの人々は きずついたものを たずさえて 礼拝は できなかった 今私たちは キリストによって 救われ いやされて 神の前に 出ることができる 礼拝の民とされている キリストの 救いを 礼拝で意識すれば きずはいやされ感謝と 喜びがあふれて来る |
| 詩の友 第122号 1992年10月 |
投稿 鴨下わたる 祈りとは 私が祈っているお方は アブラハムが モーセが ヨシュアが 名を呼んで祈った神 大いなる全能者 老婆にイサクを生ませ 紅海を 真っ二つに分け エリコの城壁を壊した あの大いなるお方です 私の名も 主なるお方が 手のひらにきざんで覚え 親しく聞いてくださる 大切なのは信仰だけです 祈りの谷 ネアンデルタールと聞けば 類人猿の骨が 出た所だと 思っていたのに 「ネアンデ牧師の谷」という 意味だと聞いた 毎朝 毎朝 ネアンデ牧師が 自分の教会の 信徒の名をあげて お祈りしていた谷が その名になったという そんな祈りの記念碑を 残したいものだ 投稿 渡辺久美子 オンシジュウム 昨年購入した オンシジューム 小さな株に 一本ひょろっと伸びた花茎 母の好きな黄色の花だから つい買ってしまったのでした それから一年 オンシジュームの株は元気に育ち 春に植えかえをし 夏の暑さを乗り越え 花芽を二本つけました 秋 はじめの九月 部屋の中で 黄色の花を咲かせています 母が一言 "はじめて見た こんなにきれいな花があるんだね" と思ったとつぶやいて 神様 オンシジュームをありがとう 秋桜だより 秋になりました あなたの好きな秋桜が咲いています 一見 弱そうに見えますが 実は とてもしっかりしている秋桜 あなたは やさしい人だから 秋桜の花がお好きなのでしょうか 秋桜だよりをお届けします どうぞ お元気でいてください そして いつかまた教会で お目にかかれる日を 心待ちしています 122号の富澤誠治作 EMFジャーナル EMFは 福音主義医療関係者協議会の略称 第二十三巻一号 特集 第八回国外研修報告 名古屋福音伝道教会の 木下郁子さんは 看護学校 保健科に学ぶ 正看護婦資格者 フィリピンの セブ島 カモテ諸島の一つ ポロ島のアティポ村の キリスト者との出会いの中で 新しい発見をした 報告書の一文を 詩の形に変えて ご紹介 発見 本来 神様の愛 恵みの雨が 目に見えない雨が 降り注いでいる しかし私たちは 名誉 自分勝手 怠慢 独り善がり 忙しさの 傘をさし 恵みがあたらないようにしている 国外研修で なんとすばらしい 発見をしたものかと 記録した 報告書を読んだ私も 教えられた 恐れが消えて だれだって 不安や 恐れがある 押しつぶされるか 乗り越えるか それが 課題 主よ 今 恐れがあります みことばをください そう祈って 聖書通読の箇所を 読んだら 「恐れるな。勇気を出せ。」ゼカリヤ書8章13節(新改訳) 感謝して 祈りだしたら 不安が去って 恐れが消えて 神を愛し 人を愛する 心ができていた エビデンドラム 小さな鉢に 植えられた エビデンドラム 三本のくきに 七月から 十月のきょうも 次々に 花を咲かせている 一本には 種のサヤもつき 日毎に大きくなって 実らせている サヤが割れる前に 摘み取って 種を蒔いてみよう 名古屋で 新しい楽しみがふえた 小さな苗を いただいて 十数年 毎年花を見た 種がついたのははじめて 本年は 蜂が何匹も 来ていたからだろう 教会堂の屋上にも いのちのいとなみがある ![]() 鈴木邦俊牧師からいただいたエビデンドム |
| 詩の友 第123号 1992年12月 |
投稿 渡辺久美子 りんどう りんどうの花が 笑うように ひらいていた 秋の めぐみ ドライフラワー もう一度 花を楽しみたいと ドライフラワーを作ります 今秋は 実ものにも挑戦しました 朱色の カラスウリ 紫の色が 何とも古風な ムラサキシキブ 香りのよい フジバカマ 先に仕上っている スターチスやバラへ 仲間が増えましたよ ヒメリンゴは出来ないかな 初冬を迎えて 心平安です 123号の富澤誠治作 鶴舞公園 図書館へ行くつもりが 休館日で 公園散歩 池のほとりのモミジの紅葉 池をとりまいて 話しこんでいる人 水彩画に熱中している人 写真を写している人 思い思いに 動きがある 私は 陽だまりで 作詩する人 休館が憩いになった 初冬のバラ 冬を前に 春の花とは違って 色濃く 充分には 花を開かず 力をふりしぼって 咲いている けなげな姿に 見とれてしまった ふと見ると バラの実がついている 芝生をまたいで 摘み取り 割って見る 中には 幾つぼだろう 種が入っている 帰宅してすぐ 鶴舞公園のバラと ラベルに書き 種蒔き きっと咲くだろう 花を見るのが楽しみ 楽しみがあるって うれしいこと ![]() 陽だまりにいると 逆光の中の 風景も美しい 光の当たっている方は 別の色があるだろう 一つのことでも 両面から見ると 不思議な 発見をする 人を見ても 松原湖研修会 攣縮性狭心症 いつ発作が起るかと 思うと 遠出が不安になる 発作がつらいからだろうか 人にご迷惑をかけてしまう 思いがあるからだろうか 不安になるのは事実 車内から 中央線 列車の窓から 山を見ていると 緑は遠慮するかのように 色は控え目 落葉樹は 紅葉の美しさを 見せてくれる まもなく散り行く前の あでやかな色彩 寒さにさらされて出る 美しさ 研修会の夜 松原湖キャンプ場の 落葉した から松林 樹間から見える 満月 きりっと身がしまる 寒さの中で 見事な月 神の創造のわざに 心 とかされる これから 深い 厳しい 冬を迎えるのに 下呂への伝道問安 人の知恵 飛騨川を 名古屋から 下呂までの 車窓から見る 数えなかったが 何箇所かの 人工湖 ダムは 水害防止にもなるだろう 水力発電にもなるだろう 人の知恵を見た もっとも大切な 知恵は 創造者を知る知恵 山の美 雑木の山と 植林された 杉の木の山 桧の山 それぞれの 美しさがある 山の中に住む人々の 生活が見える 落葉樹の中の紅葉 枝ばかりになった 木々の間に まだ残っている 紅葉樹 初冬の山に 見とれてしまった 落葉した木は なんだろう 下呂の教会の 人々から ナラ コブシ ケヤキ クヌギ クリ 次々に 木の名が出て来た 教えたり 教えられたりは すばらしい |