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| 詩の友 第83号 1986年1月 |
投稿 涙 沢村せい イエス様 今 私は悲しくはないのです でも涙が出ます イエス様 あなたが 私の心の中に宿って くださっていますから こんなに こんなに 感謝の涙が出るのです 安き 沢村せい イエス様 こんなに心が豊かであることを ありがとう 投稿 聖書研究祈祷会にて 心幸 父といると そう 今 いるの なんとなく新鮮だった うれしかった 彼は父 ボクは子供 彼は牧師 ボクは生徒 本当に父が牧師 牧師が父であること 誇りに思う 投稿 コスモスの花 中村政夫 コスモスの花 大きな口をあけながら クスクスと笑っている ピンクのやさしい ワンピースを着ながら きょうも ぼくとお話ししてくれるコスモス おまえのようなやさしい人に ぼくもなりたい 投稿 目を上げて見よ 森 健二 夕焼けの赤きを見れば 明日は晴れであると知る 果たして然り 心を天に向わしめよと トマス・アケンピスは言う 天啓の書である 聖書のことばに 我らの心を向わしめよ 83号の富澤誠治作 見あきたことがない 空を見て 見あきたことがない 嵐の日の空は 恐ろしい でも見あきたことがない 晴天の日 雲もなく 青一色 でも見あきたことがない 雨の日 空は見えない でも雲の向こうを 想像すると 見あきたことがない 山を見て 見あきたことがない 春も 夏も 秋も 冬も その日の顔をしている やっぱり見あきたことがない 野原を見て 見あきたことがない 背の高い草は 誇らしげ でも きれいな花はつけない 背の低い草は 淋しそう でも 花は美しい 冬に 草は枯れるのに やっぱり見あきたことがない 海を見て 見あきたことがない 争った 足あとも 波は消してしまう 大きな波の時も さざ波の時も 見あきたことがない 聖書のことば 「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」詩篇19篇1節(新改訳) |
| 詩の友 第84号 1986年4月 |
紹介 「八木重吉詩集」 原っぱ ずいぶん ひろい原っぱだ いっぽんのみちを むしょうに あるいていくと こころが うれしくなって ひとりごとをいうのが うれしくなる 投稿 杖 森 健二 杖! 杖! 杖! 杖は神のみことば モーセの杖 羊飼いの杖 花咲きたるアロンの杖 杖は奇跡を起こし 羊を導き 神の臨在を示す 杖持ちて歩まば つまずくことあらず 84号の富澤誠治作 あなたはわたしのもの 私の年齢は五十歳 1986年3月13日 天城山荘 教団総会 閉会礼拝 聖句は 「あなたはわたしのもの」 みことばが心にひびく 最後の聖歌 新しい地にふみいだす さんびをはじめてまもなく 胸に激痛 立っても 座してもおられず 伏して横になる 痛みのため もうろう ぼんやりした意識の中 オリーブ油が注がれて 祈りの声 救急車を手配する声 心にひびくのは 「あなたはわたしのもの」 意識がもどって来る 救急車の中 酸素吸入 ますます意識ははっきり 中島医院で 心電図 中島先生 "何も異常はありませんよ" 目をぱちくりしつつ 同労の先生方に 支えられて 名古屋へ かかりつけの病院へ 心電図の結果は "異常ありません でも念のため 24時間心電図をしましょう 異常の時のために 舌下錠を出しましょう" やはり心にひびくのは 「あなたはわたしのもの」 主のものならば 生きることも 死することも み手にまかせて 伝道者のわざ 仕える働きをしよう 「あなたはわたしのもの」と 宣言される 主は 何かをなさるのだろう 同時に 胸ふくらませて 主の所有として歩もう 主のみ手に中にある者が どんな歩み方をするのか 見ていてほしい きっとあかしが 新しいことが 生まれる (イサヤ書43:1-21.) イースター 花一輪 それは 見る人の心を なごませる キリストの復活 それは 私の救い 私の希望 キリストの復活 それは なにものにもかえがたい あなたの救い 主のみわざ 小さなことでも 主のみわざを 見落さないで 感謝しよう 大きなことなら もっと感謝しよう |
| 詩の友 第85号 1986年6月 |
紹介 「夕暮になっても光はある」 林 富美子著 秘めごと 生まれたての赤ちゃんに おかあさんがわかる この人間の神秘 生まれた時と同じように 死ぬ時には 神さまが見えるのかしら ああ 言葉では表現できない 神と人間との ふしぎな秘めごと (夕暮れになっても光はある P56) 著者の林 富美子さんは 特別養護老人ホーム 十字の園の医師 おじいさん おばあさんの 生きざまを 看護婦として働かれる 土田セイさんの 絵とともに とらえて表現している お年よりを もっともっと理解するのは いま必要なこと 投稿 希望 森 健二 パスカルは 人間は弱い葦のようなものだ しかし考える葦である と言った イザヤは 野犬のふしたるすみかは あしよしの茂りあうところと なるべしと預言した 神はアブラハムの子イサクに わたしがあなたと共にいる わたしはあなたを祝福し あなたの子孫を増し加えようと 約束された 信仰による希望は 広く深く明るい 85号の富澤誠治作 ハレルヤ 主をほめよ 音楽にのせられた 言葉を聞いて 感動の涙あふれ 主をほめよ みんなと歌いつつ こんな私に お与えくださった イエスさまの み救いに 感動して涙あふれ 主をほめよ これからも 神さま みわざをなさってくださいと 祈っていると 信仰がわいて来て 感動の涙あふれ 主をほめたたえる 人と機械 コンピューターは機械 機械だから 使い方さえ 知っていれば 人の自由になる 人の命じる通り 規定通りにする 人は コンピューターとは違う 命じることが 通じないこともある 機械人間は 人間ぎらいになる 真に人であれば 人間大好きになる 少しは 悩んでも 人であり続けよう 弱さ 人は自分の弱さを いやというほど 見せられることがある その時 どうするか それによって人生が変ってくる あくまでそれを続けにさい 年若い 伝道者テモテに 老練な 伝道者パウロは 「あくまでそれを続けなさい。」 そう言って 励ましている 実年になった私 やっぱり パウロのことばは 励ましになる キリストの 愛にかこまれ キリストの 救いにかこまれ キリストの いのちにかこまれ キリストの 働きにあずかっている そのめぐみを あくまで続けよう 聖書のことばは 「自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。」テモテへの手紙第一 4章16節(新改訳) |
| 詩の友 第86号 1986年8月 |
紹介 「かぎりなくやさしい花々」 星野富弘著 ドクダミ 知らなかったよ こんなにきれいだったなんて すぐそばにいて 知らなかったよ ドクダミの 絵にそえられている詩 その感動は 本を開いて 絵を見て 詩を読まなくては 伝わって来ません しかも 星野さんは 体操の先生 事故による障害を 乗り越えて 絵と詩によって 生きる喜びを 語っている 「かぎりなくやさしい花々」 子供も 大人も 読んでいただきたい本 私も ドクダミの 花を思い出して 日陰の草なのに 美しい花を 咲かせているのに あらためて 感動した もっともっと 感動をもって 見る目を養わなくては・・・・・ 投稿 涼風 森 健二 寒暖計は 三十度を示す 暑い日の午後 廊下に座し 外を眺める 庭の木の葉が さわやかにゆれる 風が吹いている 救われたような 気が起る 風は思いのままに吹く 霊から生まれる者も みなそれと同じだ 86号の富澤誠治作 オアシス 暑い夏の 日照りの中で オアシスを 思う 水の豊かな この国では オアシスの めぐみは わからない 砂漠を旅してこそ オアシスの めぐみは よくわかる 砂漠の民の歌 「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も 夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」詩篇1篇 1-3節(新改訳) 人のオアシス キリストのもとにある人は 幸いな人 水 さつきの六鉢に 冬には 一週間に一回 春と秋には 二、三日に一回 夏になると 朝と夕に一回 ジョーロいっぱいの水 それだけのことで 年に一回 見事な花をつける おこたれば それだけで終る しかし 神は私に みことばの水で うるおしてくださる 人生の花も 咲かせてくださる 水のめぐみ みことばのめぐみ 名古屋のどまん中で ビルと道 それが都会の姿 犬と散歩すると 土のあることがわかる 街路樹の下に 草のあることがわかる 道のかたわらの 花木のそばに 家々には 植木鉢がある そこに緑がある 人が生きづいている みんな しあわせを求めて |
| 詩の友 第87号 1986年10月 |
投稿 栄光の輝き 森 健二 あかず眺める 千変万化の雲 きょうも仰ぎ見る 薄墨色の大いなる雲 その雲から 輝き出ようとする太陽 陸離たる光線が 数条流れる 栄光の輝きを 示すがごとく 87号の富澤誠治作 家族のきずな 大家族から 核家族へと 時代は移り 今また 三世代同居家族 四世代同居家族が 増えて来ている アンケート調査は その時代の姿を 浮き彫りにして 家族のきずなの 大切さを訴えている くつろぎのあるはずの 社会の 基本的な 集団に 責めばかりが 入り込まないように 生きることは できないものだろうか やさしい人々 悩んでいる人 苦しんでいる人 悲しんでいる人 淋しい人 不安をもっている人 自信をなくしてしまった人 その人たちの 理由を聞いていると なるほど なるほどと うなずけて みんなやさしい人に 見えてくる やさしい人だから 痛むのだろうか キリスト 生まれた所は ベツレヘム 寝かされた所は 飼葉おけ 貧しい貧しい誕生 活動された所は ユダヤ サマリヤ ガリラヤ ペレア デカポリス そのどこでも 病める人をいやし 悩める人を慰め 力あるご活動 にもかかわらず つけられたのは 十字架 罪を犯した者が 掛けられる 十字架 罪を犯した者なら 当然かも知れない しかし キリストは 罪のないお方 なぜ なぜ なぜ キリストには 見とれるような姿もなく 輝きもなく 慕うような見ばえもない イザヤの預言のとおり (イザヤ書53章 新改訳) キリストの 十字架は 私たちに平安をもたらし キリストの打ち傷によって 私たちはいやされた これもイザヤの預言のとおり (イザヤ書53章新改訳) 十字架に 掛かられた キリストさまが 葬られたのは だれも葬られたことのない 新しい墓 葬られた悲しみは 三日間 週の初めの日の朝には 復活され 私たち人の 救いの保証となられた キリスト それは 私の救い主 あなたの救い主 |
| 詩の友 第88号 1986年12月 |
紹介 生かされて 松尾セキ著 生かされて若葉かがやく季に会えばぼうこう切除の身もなげくまじ 生かされてしばし世に在る旅人に過ぎずと知りてすがしくなりぬ 投稿 神の恵み 奥平顕光 主の御手の限りなき愛今日も受け喜の字の旅路つつがなく歩む 久々に秋陽照りつく栗畑に栗の実はじけ味覚楽しむ 投稿 御手の大きさ 七原勝子 天地創造の御手の大きさ夕焼のしまなす朱をあかず眺むる 投稿 自然讃歌 森 健二 天高く馬肥ゆる秋 馬は近ごろあまり見ぬが 青空は いつでもどこでも 仰ぎ見ることができる 紺ぺきの空に 白雲がただよう もろもろの天は 神の栄光をあらわし 大空はみ手のわざを示すと 詩人はうたった 大自然の讃歌は 創造の神をほむる 我らの讃美にふさわしい 88号の富澤誠治作 クリスマス 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。 エリサベツ ルカによる福音書1章45節(新改訳) キリスト降誕前の エリサベツの言葉 イエスの母 マリヤへの賛辞 そのことばの中から 教えられる 神のなさることに すべてをまかせ 信じきった人 マリヤ 現在も 神のなさることに すべてをまかせ 信じきった人 その人たちによって 神の事業は 進展する 個人の生活の中で 学校で 職場で 神のなさることに すべてをまかせ 信じきった人 その人によって 神の祝福が 広がって行く 神のなさることに すべてをまかせ 信じきった人は マリヤとともに 「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」ルカの福音書1章46から48節(新改訳) |