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詩の友 第154号 1998年2月

投稿  「聖書通読」  太田垣泰子

読み終る感動の歴代誌上神に生かされしダビデの生涯


154号の富澤誠治作

健康

     久しぶりに
     肩の痛み

     主治医の先生に
     話したら
     血管拡張剤の
     ぬり薬を
     処方してくださった

     血管のれん縮痛と
     判断されたらしい

     毎日ぬっても
     改善されず
     不快がつのる

     それでも
     ぬり薬を
     続けたら
     二週間後から
     肩の痛みは
     やわらぎ
     楽になる

     毎日を
     気持ちよく
     過ごせること
     なんと幸いなことか
     しみじみと思う


支え

 「主を尋ね求める人々は、主を賛美しましょう。」詩篇22篇26節(新改訳)
     詩篇詩人は
     主を尋ね
     求める人

     だから

     「主を賛美しよう」
     そう言うことができた

     今も
     主なる神に
     お会いしたいと
     願う人は
     生活の中に

     賛美がある

     求める
     熱意があるって
     何と大切なことか

     求める
     熱意があることによって
     支えられる
     恵みを
     実感する


楽しみ

     植物も
     動物も
     寒い所が
     好きなものがある

     反対に
     温かい所が
     好きなものもある

     私という人は
     両方を自分の
     手元におき
     楽しみにしようとしている

     冬に
     枯れてしまうものもある
     夏に
     枯れてしまうものもある

     本当は
     一番好む所で
     育つのが
     一番よい

     それを無理に
     手元におくことは
     わがままなのだろうか

     よく育てば
     楽しみなのに

     よく育たないのを
     見ると
     考えさせられてしまう

     楽しみって
     わがままな
     あらわれなのだろうか


教えられる

 「主はその人に選ぶべき道を教えられる。」詩篇25篇12節(新改訳)
     毎日聖書を
     読んでいると
     行くべき道を
     選ぶべき道を
     教えられる

     行ってはいけないことも
     選んではいけないことも
     教えられる

     聖書って
     何とも不思議な書
     だから世界の人々から
     愛読されている

     古くて
     今も新しい

     聖書を
     読みはじめて
     四五年
     きょうも
     教えられ
     選ぶべき道が
     見えて来た




     夜中に
     雪が降った
     プランターの上にも
     雪が積もった
     朝太陽が昇り
     雪が消えたら
     プランターの中の
     菜の花の苗が
     生き生きとして来た

詩の友 第155号 1998年4月

投稿  「春風のメロディ」  渡辺久美子

     春風が吹いている
     水仙の花をゆらしている
     柳の新芽がゆれている
     スズナの上にも ほんわかと吹く
     春風のメロディ
     水仙のラッパが鳴り
     柳のハープの音色が奏でられ
     スズナの合唱隊のコーラス

     道ゆく私に
     きこえまいます
     春風のメロディ


投稿  「余韻」  太田垣泰子

声上げて讃美歌妹背をちぎり合唱す孫の婚礼式の福岡ホテル

偉大なる長崎平和記念像両手に肩に飛ぶ鳩の群

切支丹殉教の碑を仰ぎおり湯気立ちこむる雲仙源泉


155号の富澤誠治作

ガリラヤの春

     「ガリラヤの春」は
     聖地旅行の記念誌
     読みつつ
     再び
     現地にいるような
     気持ちになる

     聖書の世界の
     不思議な
     み力に
     うなづいて
     読み進む

     シナイ山頂で
     百武彗星が
     見られたと
     喜ぶ参加者の文

     読みつつ
     過ぎし日
     空 仰ぎ
     雲にさえぎられ
     見られなかった日を
     思い出す

     アブラハムに
     言われた
 「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」創世記15章5節(新改訳)と記された
     聖書のことばを
     思い出し
     神の約束の
     確かさに
     思わず
     ハレルヤ


みことば

 「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。」箴言16章1節(新改訳)
     神のことば
     聖書は
     実に不思議な
     表現をする

     「舌」に答えてくださる

     なぜ耳ではないのか
     考えさせられてしまう

     主なる神に
     喜ばれることを
     第一に考えて
     生活すると
     計画したことを
     言葉で表現する
     勇気が与えられる

     そう思ったら
     なっとくできた


キリストの復活

 「イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。」マタイの福音書28章7節(新改訳)
     ガリラヤで
     お会いできる

     弟子たちに与えられた
     希望の地
     イエスさまに
     お会いできる地

     復活された
     キリストに
     お会いできる時と地

     毎日
     聖書を読み
     祈る時
     お会いできる

詩の友 第156号 1998年6月

156号の富澤誠治作

カナダ

バンクーバー空港で

     実夫妻
     ゆり
     婚約者のヴィンセント

     この地で
     顔を合わせるとは
     世界も狭くなった


バーナビー

     緑豊かな町
     バーナビー
     木立の中に
     家があり
     人がおり
     ゆとりがあり
     おだやかな町

     冬でも
     芝が
     青いという地
     雨が多いからだという

     ゆりが住みつこうとしている地
     その地へ来て
     日本とは違った
     くつろぎを
     主からいただいた


結婚式リハーサル

     いつもはリードする側
     今はリードされる側

     ゆりと共に行進
     牧師の前に立つと
     司式の言葉は
     あなたの娘を
     この男性に与えますか

     アイ・ドウ
     父親の手から
     ヴィンセントの手へと
     娘は移って行く

     すべてのことは
     時にかなって美しい
     神のわざだから

     心通じた二人だから


体調

     なんとなく眠たくて
     お腹の調子が悪い
     便は普通なのに
     不思議な体調

     これが時差ボケと
     言うのだろうか
     水が合わなかったのだろうか


協力

     リハーサルディナー
     結婚式にかかわる
     親族 友人 知人
     レセプション司会者
     食事は持ち寄り
     メインになるものは
     ヴィンセントの母と友人 妹の手作り

     帰りの車中で
     ヴィンセントに
     家族のみなさんの協力
     ありがとう

     返って来た
     返事は
     家族だから当然
     ここにも家族のきづながあつた


新しい力

     からだの不調も
     一夜の眠りの後
     いつもの調子にもどる
     その日の
     聖句は
 「何の害も受けなかった。」使徒の働き28章5節(新改訳)
     海難後の
     マルタ島での
     パウロに起こったできごと

     何の害も受けなかった
     そのことばで
     新しい力を得た




     バーナビーへ来た時から
     道ばたで
     咲いている黄色花
     葉を見ると
     カナダの国旗の形
     押し花材に
     ミニ聖書の中に採集
     何と言う
     名前の草だろう
     美容師さんに
     聞いたら
     バターカップ


散歩

     バーナビーへ来て
     やっと散歩の時がもてた
     まよわないように
     道を確かめながら
     散歩

     小さな公園で
     日本では聞くことが
     できなくなつてしまった
     友を呼ぶ声
     あそぶ声
     あそびの中で
     生き生きとしている子供の
     顔 顔 顔


高校生

     空き缶を並べ
     オートバイの
     ジグザグ曲乗り遊び
     暴走ではない
     高校生らしい
     技術習得遊び
     しかも
     住宅地の中の駐車道
     時間は午後八時
     まだ明るい夕方


結婚式

     娘ゆりの結婚式の日
     花嫁を迎えに来る
     自動車が手配されているらしい
     しかし
     来ない

     式に出席した人々は
     何が起こっているのだろうと
     思っているだろう

     自動車が来なければ
     同伴の私たち夫婦も
     どうしようもない

     待つことは
     いらいらすること
     不安を増幅するもの
     自動車と運転者を見て
     胸なでおろす


言葉がわからない

     結婚式の
     教会へ到着
     リハーサルの時とは
     違った指示
     何をどうしたらよいのか
     戸惑う

     やっと通訳の応援を得て
     本番
     結婚式スタート
     何とハプニングの多い式
     それでも
     式のあと
     言葉はわからないが
     温かい
     雰囲気が
     伝わって来た


ホームパーテー

     結婚式も終わり
     まだ明るい夕方午後九時
     ヴィンセントの家に着く
     親族になった全員がそろい
     盛り沢山のごちそう
     会の終わりは十二時近く
     もてなしを受けることは
     疲れること

     それでも
     格式ばらない
     人とのふれ合いは
     喜びでいっぱい


バンクーバー日本人教会

     ペンテコステの
     主日礼拝は
     村松勝三師
     牧する教会で
     礼拝をささげる

     説教題は
     「聖霊の働き」
     聖霊の働きは
     目立つことなく
     実を確実に
     結ばせてくださる

     明確な説教に
     教えられた


ブッチャードガーデン

     バンクーバーから
     公園のある
     バンクーバー島へ
     フェリーを待つ
     車の多さに驚き
     公園までの家々は
     リゾート地域かと思わせるような
     個性のある家々に驚き

     公園では
     ゆり夫妻と
     写真を撮りながら
     いちじゅん

     新緑の美しさ
     花の美しさ

     通路では
     リスが
     こちらを向いて
     ごあいさつ

     美しい所に
     人は集まる


海岸

     ビクトリア海岸は
     空きカンのない海岸
     あるものは
     土に帰る
     流れ着いた巨木 巨木

     朝の海岸を
     クサリのない犬と
     運動を楽しむ人々
     ビクトリアの人々の
     楽しみは
     神の
     創造のわざの中


野バラ

     ビクトリア海岸に
     野バラの群生
     花はチラホラ
     甘い香りをはなち
     咲いている

     一重の花は
     可憐で美しい

     そこに住む人々は
     見向きもしない
     ありふれた花
     メモ用紙に
     写生した
     記念の花

     一輪を
     宿の部屋の
     牛乳ポットに
     生けて帰る

     宿の係りはどうするだろう


夜景

     呼び名が変わり
     ゆり・ラスマリアスの住居から
     バーナビー・マウンテンへ
     着いた時は
     まだ 夜とはいえないが
     下界に広がる夜景は美しい
     ヴィンセント・ラスマリアスが
     見せたかった景色

     北海道 釧路市と姉妹都市
     矢印の先端は
     釧路を指している
     親しみが一つ増えた


ゆりの住む町

     木いちごがあり
     リスがおり
     目が合うとあいさつが来る人 人
     遠方に雪のる風景
     緑豊かなくつろぎの町
              

詩の友 第157号 1998年8月

紙上説教  「私にとっては」  富澤誠治

 「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」ピリピ人への手紙1章21節(新改訳)とピリピ人への手紙の著者パウロは語っています。短いことばの中にパウロの生き方が表明されています。
 人は自分の生き方を他に強制しようとする傾向があるものです。パウロは「私にとって」と言って自分の生き方として語っています。これは私たちも学ばなくてはならないことです。続いてパウロは「生きることはキリスト」と言って生きると言うことの主体が自分ではなくキリストであると語ります。一般的に自分の主体性を大切にして生きるのが普通です。しかしパウロは違いました。どこまでも「生きることはキリスト」と言ってキリストの恵みのもとで生きることを大切にしています。主体をキリストに置いて生きる生き方に学びたいものです。次にパウロは、
 「死ぬこともまた益です。」と語ります。このことばは同じ、ピリピ人への手紙1章23節「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。(新改訳)」と言うことによって人は死で終わりでなくキリストとともに生きることこそ大切なのだと言っているのです。
 ここにパウロの死生観を見ることができます。この箇所を、ある方は説明して "パウロにとっては、生も結構、死も結構というわけで生死を問題にしない境地を得ているわけです。" と説明しました。
 パウロが言った聖句を読むたびに思い出す婦人があります。老齢で床についておられた時に、見舞った私たちに出ない声をふりしぼるようにパウロが言った聖句「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」を言われて目を閉じてしまわれました。その姿を見ながら生き死にをキリストに委ねた姿を見て励まされたことがありました。
 パウロが「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」と言ったのは、パウロにとっては生も死もキリストの内に吸い込まれてしまった姿、そのものでした。
 生き死にをキリストに任せきって生きる姿です。そこには、この世をはかなむ姿はありません。伝道者として生きるパウロの姿を見ることができるのです。
 私も一人のキリスト者として生き死にをキリストにまかせて、讃美歌361番、主に在りてぞ/われは生くる/われ主に、主われに/ありてやすし/・・・生くるうれし/死ぬるもよし/主にあるわが身の/さちはひとし/・・・を口ずさむ。


157号の富澤誠治作

教えられて

     生き死にを
     神にゆだねて
     生きたパウロ

     パウロの生き方に
     教えられて
     生き死にを
     神に
     ゆだねてみたら
     今までにない
     心境を得た


なじめない

     環境になじめない
     植物が
     どんどん
     枯れてゆく
     なんとも痛々しい

     そこにも
     生き死にの
     現実があった


問い

 "我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行こうとしているのか" 画家 ポール・ゴーギャン

     誰に
     問うたのだろう

     自分にだろうか

     人にだろうか

     ひとりごとだったのだろうか

     叫びだったのだろうか

     画家ポール・ゴーギャンについて
     調べて見たくなった

     そこにも
     人の生き死にの
     問いがあったように
     思えてならない


イメージ

     やるべきこと
     やれること
     やりたいこと

     それぞれを
     一つの丸として

     三角形になるように
     丸を重ねてゆく
     真中に
     三つの丸が
     かさなる処がある

     それが
     私のやること
     行動原理の基本

     やれないことは
     どこへ行ってしまったのだろう

     やれないことも
     受け入れなくては
     いけないのかも知れない

     

詩の友 第158号 1998年10月

158号の富澤誠治作

助け

     エベン・エゼル・・・
 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。サムエル記第一 7章12節(新改訳)
     サムエルが
     告白した
     実感

     ふり返って見ると
     助けられている
     それは
     間違いのない事実

     信仰者が
     助けられたと
     意識するのは
     神への
     信頼の実

     自己満足や
     自分の平和のためではなく
     神があがめられるため

     他の信仰者と
     いっしょに感謝するため
     それができる時は
     しあわせ


オンシジューム・オードブル

     小さな黄色の花が満開
     葉は病気のために
     黒ずんで痛々しい

     殺菌・殺虫剤の
     散布で
     来年は
     新鮮な緑の
     葉がつくのが
     楽しみ

詩の友 第159号 1998年12月
最終号 富澤誠治

説明書

   
     瀬戸内海 鶴島石
     島の形にそっくり
     鶴島でキリシタンの
     殉教者が出た
     殉教者は浦上のキリシタン
   花びん
     備前焼 作 旨悦
   
     石を見る度に
     鶴島での殉教者を思い
     心引き締められる

     殉教は
     求めて
     実現するものではない
     恵み だといわれる

     私の
     信仰の歩みは
     殉教者の上にある

     キリストの
     十字架のぎせいを
     心に深く深く
     印せられるように  旨悦 
                    

      本号で紙にる発行は終了
     HPのタイプ2004年9月20日完成

   インターネットホームページで再発行

         2004年4月1日から