以前の詩

巻頭言に変えて
詩の友 第54号 1981年2月

       表紙によせて
 武生市内の町並みを立体交叉の上から見下ろした風景なのです。昔、府中と呼ばれた両側に並ぶ人家、一本の遠くに続く道、その中で生活している人々のはかり知れない生活力が伝わってくるようです。はるかに続くこの道は、今日もすべての悲しみや苦しみを乗り越えて明日に向かって立ち起ろうとする希望の道なのであろうと・・・想いつつ筆を走らせてみました。
 美術年鑑掲載作家 中 村 政 夫
     
 (こんな説明書になっていました。)              

 投稿 「若さ」 野畑新兵衛師

若さとは年ふさわしく生きること われもこのごと百となるまで


投稿 「新年への祈り」 永井敏夫

     主から受けている恵みを
     いつも充分とわかればいい
     主には無駄なことがない
     ひとつひとつの計画は
     主イエスの栄光のため
     このために みこころならば
     今日も生かしてくださいと
     祈れる一年にしたい


 「すくいの君に」  富澤誠治

     1、救いの君に 出会った喜び
       日毎にかみしめ 歩むは楽し
      おりかえし 見よ 十字架による
              キリストの救いによるなれ

     2、聖書(みふみ)によりて 教えられつつ
       ひと足ひと足 歩むはたのし

     3、救われし友と み名をたたえて
       手を取り合って 歩むは楽し

     4、福音広く 伝わるために
       手足を動かし 歩むは楽し

 (軽井沢福音教会の方が曲をつけてくださつたと思いますが失いました。)


 「作詩の助けのために」

 ハイネの詩の中に カターリーナ と題して

     ・・・
     ながい間 ぼくには歌がなく
     ぼくは不安だった 今また歌ができる
     ぼくたちにとつぜん涙が湧くように
     歌もまた突如として訪れる

     ・・・

 と歌われています。
詩心が起らない時は、無理するのでもなく、じっとこらえて、詩心が起ったら、一気に、自分の心を、言葉にしてみたらいかがでしょう。
 歌が完成したら、自分で音読し、満足してみることです。 富澤誠治


巻頭言
詩の友 第55号 1981年4月

 本年1月の作詩に、建物と題して、
     福音書に
     幕屋や
     家 唯の家ばかりでなく
     祈りの家 会堂 宮
     そうかと思うと
     取税所が
     出てきたりもする
     その建物が
     何でできているのか
     考えると
     早く聖地へ
     行って見たくなると
 いうのがありました。3月28日から4月11日までエジプトとイスラエルを旅しました。その地には木造はなく石の建物ばかりでした。"見る" ということの重要性を覚えたことです。 (こんな巻頭言になっていました。)

投稿 「まかせる」 辻野志づ子

     主よ私のすべてを
     おまかせします
     まかせた時に
     なげきは去りて
     心静まり
     まかせた時に 喜びあふれ
     まかせた時に 希望に導かれ
     主のふところにやすらぐ私


 投稿 「つえ」 森 健二

     モーセが
     つえを伸べれば
     紅海の水は
     二つに分かれた
     モーセが
     つえをもって
     岩を二度打てば
     水は流れ出た
     しかし
     そのために
     モーセはピスガの山から
     約束の地カナンを
     眺めるだけで
     入国は許されなかった
     つえのもちいかたを
     誤ってはならない


 後 記

 4月号は発行が遅くなってしまいました。念願のイスラエルを旅することができました。聖地の印象をあらわした作品ができていますので後日一冊にまとめて発行したいと願っています。

 (聖地旅行ができたのは軽井沢福音教会から今まで支給されなかったものが支出されかからでした。加えて定住牧師が決定し東京からの出張牧会から解放されることとなったことを思い出しています。また聖地旅行詩集は、ここをクリクすると見られるようになっています。このような形で発行ができますことを感謝しています。)


巻頭言
詩の友 第56号 1981年6月

 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。マタイの福音書28章20節(新改訳)

 聖句を、永世在主 とまとめて見ました。救い主が共にいますことを日毎に覚えることは、信仰生活の初歩であり、成長した信仰生活の姿でもあります。 (こんな巻頭言になっていました。)
                            

投稿 「旅支度」 坂井田ゆき

     春浅しすべてをゆだね旅支度

     わが心聖地にありて春立ちぬ

     愛ありて旅の支度や梅薫る

     紅梅の一枝かざして旅支度

     御神の愛をしたいて旅支度


聖地

     春暁の湖畔に立てば神在す

     春の野やひつじ導く乙女たち

     岩かげにひっそり咲くやシクラメン

     春の波岩にたぎちぬ地中海

     オリーブの新芽かがやくうれしさよ


 「イスラエル」 旨悦(富澤誠治)

     キリストの語りし里に花の群

     あこがれの花里尋ねイスラエル

     野のユリを慕い求めてイスラエル

     尋ねきし春のみ花はこころ打ち

     イスラエルいづこの里も花ざかり


巻頭言
詩の友 第57号 1981年8月

     花をよく見ていると
     顔がある
     づぼみの時の顔
     満開の時の顔
     しおれて実をつける時の顔
     どれも種を残す顔だ
     わたしの顔も
     使命をはたす
     顔でありたい

 長野県の松原湖バイブルキャンプ場で紫花ギボシを見ているうちに新しい発見をしました。人は一生の使命を大切にしなくてはいけません。 (こんな巻頭言になっていました。)

                            

特別投稿 島村亀鶴師

 「永世在主」炎天下行くときも


 投稿 「最後の句」 坂井田悌二郎

 咳つづく霜夜の妻の身を思ふ


聖地旅行
                       坂井田ゆき

     夫は天に妻は聖地の旅にあり

     砂漠の旅終りて聖地春の夜

     春の夜山の灯ゆらぐベツレヘム

     牧童の瞳麗わし春の丘

     春の日の牧場のひつじ慕いよる

     湧き水の清き流れに春の花

     春の野は花に満たされ愛に満つ

     春暁の湖畔で祈る幸いよ


投稿 「紫陽花」 二宮妙子

     紫陽花の花盛りでした
     秋に嫁ぐ 嫁入り衣装を縫っている
     姉が行ってしまう
     私の悲しみをつつんで手の届かない遠くへ
     幸福になってほしいナー
     毎年 紫陽花が咲くと
     姉の微笑を想い出すだろう


投稿 「重近牧師御夫妻を偲びて」 谷口幸子

相共に身は衰えて主の召しを 一つ病舎に待ちていませり

したがうに二日隔て相たずさえ 昇りませし師の最期(わかれ)うるはし

十字架の深さかみしむ日頃ぞと 我にもらさる心しみじみ


−"聖霊による溢れる恵み" B・F・バックストン師に咫尺して−

ご最後のバ師帰英を故佐藤師 信徒あまたの駅に歓送
                        岸 一子


「みどり」

     山の松が茶色になり
     常緑樹の姿が
     消えて行く
     松食い虫の好物
     松が食われて
     かれて行く
     それでも他の木々は
     環境に順応して
     緑豊かに茂っていた
                        富澤誠治


巻頭言
詩の友 第58号 1981年10月

 東京では台風の被害のない年であった。平穏な時も嵐の時も人生の旅路においては、いつも目覚めて、今はどういう時かを自覚しなくてはいけない。でなければ、今の必要に対して適切に対処できなくなるであろう。 (こんな巻頭言になっていました。)
                            

ベットの上だけの生活から
                        故 坂井田悌二郎

     すがりても生きねばならず冬薔薇
     何もかも妻まかせなり年の暮
     目つむれば神に抱かるる日向ぼこ
     晩学の句の道遠し春の月
     春宵の倖せ妻と頒ち合ふ
     わが命神にゆだねて冬探し
     咳つづく霜夜の妻の身を思ふ


追 憶
                       坂井田ゆき

     秋風に語りかけつつ墓洗ふ
     夫の忌の過ぎて無死の音しきりなり
     追憶の月を仰ぎて祈るのみ
     追憶の雁来紅は今日も炎ゆ
     逝きし雲ふたたびは来ず秋の空
     梨むけば追憶さらに深まりぬ
     松茸のかおりよ天に昇りゆけ
     爽やかやすべてをゆだね仰ぐ天


     心の灯点してゆかん秋の道
                        富 澤 誠 治
 一 事 励 進
 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ピリピ人への手紙3章14節(新改訳)


58号の富澤誠治作

光に向かって

     あざやかな赤い花も
     白い花も
     黄色い花も
     太陽の光のあたらない所では
     にぶい色になってしまう
     人もキリストのみ顔の光の中で
     生活しなければ
     にぶい色になってしまう


昼も夜も

     朝顔は 朝 花を開き
     昼顔は 昼 太陽の光をあびて開き
     夕顔は 月の光に照らされて 咲いている
     朝も昼も夜も
     被造物は
     創造主なる神をたたえている


うぐいす

     松原湖の午前六時過ぎ
     祈祷室に聞えてくる
     美しいさえずりの
     うぐいすの声を聞いているうちに
     小鳥の姿は見えないが
     イエスさまのお話しされる
     「空の鳥を見なさい」
     それが見えるような気がする


寒暖計

     朝は摂氏十六度
     東京では考えられない
     天然クーラーで
     心地よい松原湖
     もっと心地よいのは
     キリストを受け入れた人々の
     さわやかな顔
     さんびのある輝き
     キリストが共にいます
     祝福であった


巻頭言
詩の友 第59号 1981年12月

 クリスマスの月を迎えました。キリストのみ救いにあずかったことをかみしめる時、喜びが新しく湧き出てきます。これは、すべてのキリスト者が共通に意識することです。この年もキリストのご降誕の祝福が友人に伝達されるようにと願うものです。そして、一緒に"クリスマスおめでとう(メリークリスマス)" と言いたいものです。 (こんな巻頭言になっていました。)
         

特別投稿  哉哉 島村亀鶴師

     キリストの光の中を歩む秋

     天向いて顔上げている菊と知る  


 「草野心平詩集から」

その一


     「・・・・・
     ああああああ
     きのうはおれもめしをくい
     きょうまたおれはうどんをくった
     これではまいにちくうだけで
     こころの穴はきりきりいたむ
     ・・・・・」


     草野心平の
     "わが抒情詩" の一節で
     わたしの大変な部分が
     暴露されて
     おろおろしてしまった
     同時に
     −『人はパンだけで生きるのではなく、
     神の口から出る一つ一つのことばによる。』−
     聖書のことばが
     心の穴をふさいでしまった


その二

     「・・・・・
     高官の礼装と百姓女の野良着とが
     それもおんなじであることの
     天につづき地にのびる
     なんたる愛(かな)しい公然を
     自分は深く息を吸いこの伝統を讃嘆する」


     "中華民国の藍に就いて" の最後の一節は

     高下 貴賎の現実の中にも
     人は人である
     人であるかぎり
     文化の恩恵にあずかる
     人よ
     平和のただよう
     文化を後世に
     残すはずではないのか
     心平詩集からの連想


教会の役員

     政治家は
     国民の利益代表
     それが支持者に答える姿勢を生む

     教会の役員は
     人々から支持を受け
     働きと働きを
     結び合わせて
     形あるものに成長させる
     つなぎの役目をはたす神のしもべ
     これは 大切な理解ではないか
                        富澤誠治