以前の詩
巻頭言 詩の友 第30号 1977年1月 |
「野の花を見よ」とはイエスさまのことばだ。 春夏秋冬 花が咲いている 春の花を見ると美しいと目を細めたくなる 夏の花を見ると涼しくなる 秋の花を見るとさびしくなる 冬の花を見ると強さを感じる そして 神の恵みが見つかる (こんな巻頭言になっていました。) |
投稿 「新 年」 堤 薫一師 |
新しく迎える年を父の手に まかせたる身は悦び進まん |
投稿 「米 寿」 野畑新兵衛師 |
主のめぐみ米寿の坂を今日越えて 目指し進まん円熟の郷(さと) 「円熟を目指して」 野畑新兵衛著より 思わざる御召し蒙り御国へと 急ぎ行きけりああわが哨(ものみ) 昭和29年11月29日 朝 電車事故で医大へ通学途次召天した 哨この悲しみの時「主がお入り用なのです」とのみ声を聞き、詠じた作、これによって試練を乗り越えた。 教会塔塗りおとされし一点に われを諭すかなお一つ欠く 母子室を増築した時、なにげく見ると一点塗りおとされていた。それを見て、主イエスが富める青年に「なんじなお一つを欠く」と教えられ富に執着する心から遠ざけられた。 (「円熟を目ざして」いのちのこば社 発行 購読をお勧めします。詩とメッセージがいっぱいです。 富澤誠治) |
巻頭言 詩の友 第31号 1977年3月 |
しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。詩篇17篇15節(新改訳) この聖句によって、何をもって満足しているのか?と問われているような気がしました。詩篇の著者ダビデは「あなた」と親しくいえる神によって満ち足りていたのです。 (こんな巻頭言になっていました。) |
紹介 「祈りの風」より 安藤仲市著 |
安藤仲市先生は1919年19歳で福音を聞き即夜、新生の恵みを受けた。その夜の説教者はパゼット・ウイルクス師であった。 先生は、満州大陸の瀋陽という伝道地に赴任して20日目に、次男の潔(1年9か月)急性疫痢のため急に天に召された。 とつくにに短き幕を閉じませり 小さく尊き使命果たして 春 木の芽立ち生き生きとしてイースター 夏 祈りつつ夏鶯に耳澄ます 秋 そのままに持ちかえりたし山の秋 冬 信仰に満ちて明るき師走かな 「祈りの風」は、安藤仲市先生による一年分の霊の糧になっています。"日本の四季を恵んでくださった主に心から感謝したい" とは先生の言葉です。いのちのことば社から発行されていますから購読ください。 喜寿の安藤仲市師へ 磐上と信じて迎う喜寿の春 迎え得る喜寿の祝いや神の業 霊界をうるおし続け七十七 神の旨器を通していつまでも 滴りを受けて感謝に溢れおり 富 澤 誠 治 |
投稿 「洗濯物のとりいれ」 富澤 実 |
お母さんが「あっ」といった ぼくは ビックリして見た せっかくほしたせんたく物が落ちていた 下は しもばしら ぼくは"だいじょうぶ" と聞いた だけど黒い服だから よごれが目立たない またやった こんどは白かった "だめだなー" とぼくがいったら おかあさんが "しもばしらでころんだ" といった 二人で笑った |
「けがをして」 富澤誠治 |
"痛いの痛いの" 遠くへとんでけー 子供は泣きやんだ "けがをするほど そそうをしてごめんなさい 神さまが与えてくださった からだを もっと大切にできますように" 祈り終ると 子供は泣きやんだ 一つのでき事で 人はどちらかに分けられる |
巻頭言 詩の友 第32号 1977年5月 |
今月はペンテコステ(聖霊降臨)を迎えました。聖書の中から教会が形成されて行く姿を改めて読み、聖霊のお働きによる事実を思います。 この小さな詩集も聖霊に用いられるようにと願うものです。また詩の作者がキリストの良い証人であるように祈ります。 (こんな巻頭言になっていました。) |
投稿 「近 詠」 向後昇太郎師 |
惜しからぬ命なれども福音の 証しの為に生きんとぞ思う |
投稿 「小さいわが庭」 野畑新兵衛師 |
青木の実紅を競いて咲くつつじ 赤き実を抱きて静か万年草(おもとぐさ) 汝(な)が目を開きて見よとチューリップ |
32号の富澤誠治作 |
罪人のかしら 若葉にあふれ 名も知れぬ草花 色あざやかなつつじの花の 咲きほこる中に 「我は罪人の首(かしら)なり」 季節につりあわない 暗い 森永太一郎の墓石 「罪人のかしら」 そういった彼は キリストの赦しと救いを 生きていたからだ でなければいえないことばではないか 東京青山霊苑 青山霊苑までさそわれ そこで 軍人 乃木大将の墓 製菓王 森永太一郎の墓 我が国首相 吉田茂の墓 いくつもの ちがった形の墓石を見た そのひとびとの 業績も 墓石の形も ちがう でもみんな 土になったことには変りがない 人生の価値とは何か 考えて見るべきだ どうしても |
巻頭言 詩の友 第33号 1977年7月 |
見ると 食べるに良く 目に慕わしく 賢くする その木の実は いかにも好ましかった 女は 実を取って食べ 夫にも与え 夫も食べた これが人の最初の罪であった。今も私たちの周囲には、罪に落とし入れる材料がいくらでもある。だから目を覚まして生活しなくてはいけない。 (こんな巻頭言になっていました。) |
投稿 「病 床」 川嶋賢廣師 |
思わざる病に倒れ伏す日々は 神と交わる良き日なりけり |
紹介 「季節の風」より 安藤仲市著 |
心なくふみにじられしクローバーの 朝露うけて命あらたに |
「増田太一郎夫妻」 |
主に在りて喜ぶ二人前にして 恵みを分かつ時は楽しき 祝 電 キリストに在りて二人で愛の道 いついつまでも上を見上げて 二人してキリストのわざにないつつ 栄えのためにいのちさざげて (結婚式の祝電だったと思います。) 弔 電 恩師をば偲びて痛み受けつつも 模範のあとを今もふみしめ (沢村五郎校長を偲び) 老いの身を献げて労す先生は 今ひと粒の麦となりけり (高橋恒久牧師を偲び) 富澤誠治 |
巻頭言 詩の友 第34号 1977年9月 |
福音は、まったく見ず知らずの他人であっても不思議なように一つにする力を持っている。福音の恵みの中にある私たちクリスチャン詩人は、"福音" と "詩" によって共通な祝福が確認されることはすばらしいことだ。 (こんな巻頭言になっていました。) |
投稿 「奇 跡」 森 健二 |
悲しさ 淋しさ 不安の影が 昔は確かにあった 今ないのは どういうわけだろう 奇跡かな 羔の血で洗えば 白くなるというのは ほんとかな 血で洗えば赤くなるはず そのはずなのに 白くなる それが奇跡だ 愛は奇跡を生むという それ程の愛が 神の心に満ちている それが十字架の上に注がれている 救いの奇跡となったのだ 全 力 投 球 一点 一角もおろそかにせず 筆力を弱めず 文字を書く そこに 雄渾な文字があらわれる 何事でもそうだ ベテラン歌手の 発声の態度をみるがよい 名投手の 投球力を見るがいい 何事にも 全力投球の心構えこそ 必要なのだ |
「夏」 |
さわやかな目覚めとともに蝉の声 蝉の声かき消されたり自動車に さんびかの歌と合せる蝉の声 罪人(ひと)にこそ救いの道はキリストに 救われしさんびの歌と蝉の声 旨悦(富澤誠治) |
「フランソワ・ヴィヨン」 |
フランスの詩人ヴィヨンはいう "若いうちに楽しめ" と のたもう賢者のことばを そのままに振舞ったことの愚かさよ (悔ゆるともいまは詮なし) ソロモンの伝道の書の部分を 生きたヴィヨンは続ける くちづけに また抱擁にいかばかりの楽しみがあっても 愛欲の誓いは破られる それでよかった "若いうちに楽しめ" とは 部分であって 中心ではない 「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」伝道者の書 12章13節(新改訳) 朝 起き出して 聖書に親しむ 神から来る祝福のなんと豊かなことよ 空を見る 朝日と雲と空の青さ 創造主から来る祝福のなんと豊かなことよ "おはよう" ちいさなひと声で 神の愛を確認する 祝福のなんと豊かなことよ 富 澤 誠 治 |
「後記」 |
健康が回復して来るに従い、教団の働きと主の日の巡回説教で多用になってきました。主の恵みと感謝していますが詩の友の発行が遅れます。お祈りください。 (このような後記になっていました。病気のままの赴任・回復を思い出します。) |
巻頭言 詩の友 第35号 1977年12月 |
1977年のクリスマスを心からお祝いします。 罪人の救いのためにご降誕くださったキリストのゆえに罪から解放されて神と共なる喜びを知る者となりました。これは大きな祝福であって感謝しても感謝しても言い尽くせない宝です。 (こんな巻頭言になっていました。) |
投稿 「クリスマス」 |
メリークリスマス 岸 一子 陽光(ひかり)浴び小鳥ら群れる聖き朝 御十字燦然として聖夜かな 秋 ヨブに哭きヨブにやわらぐ秋夜長 小春日のめぐみ清らや菊薫る 秋天下意気みなぎらせひこ競走り 高橋師ご訪韓 十字架の尖塔並ぶお国柄 聖霊のご臨在迫り粛然と 主のご熱愛聖徒の忠誠輝ける 待望む永久の国籍秋爛る 万有の主再臨(きた)りますをば雲の嶺 園 児 太一郎 園児の手ほのあたたかく秋の雨 栗むけば円らに輝く園児の眼 師を迎え春秋の宿今朝の霧 |
俳 句 |
増田家にて 旨悦(富澤誠治) 主のみむね生きる喜び秋の朝 すがすがし一日始む朝の音 聖言を起きてはじめに恵みうけ ひと日をばみことばに味つけられて 秋の日や一日楽し主に在りて 1977.9.25. 軽井沢 軽井沢秋の日ざしに花ダリヤ 花ダリヤいたわる人に咲き答え 会堂にはなやかそえり花ダリヤ 紅葉に負けじと咲けりダリヤかな み神をばたたえてダリヤ咲きほこり 1977.10.9. 勝鹿への車窓より 色づきし秋の豊かさ車窓より 秋の色楽しみながら主をたたえ 空青く勝鹿人に迎えられ みことばを伝う喜びかみしめて 主の業に一日ささぐ秋の日を 勝鹿教会の二階より なつかしや耕耘くるま道を行く ふるさとをしのびて嬉し二階窓 1977.10.23. 箱根にて 枝につくみかんのふさやこぼれそう 朝冷えを受けて色づく木の葉かな たたえ歌被造の世界色で挙ぐ 移り行く自然の色に目を見張る 1977.11.24. |
「理由があるんだよ」(畠山将典君を偲び) |
おさなごを天に送り どんなにか悲しみ痛み できれば おさなごとかわってあげたい 気持を 持ったであろうに それでもおさなごは行ってしまった 父や母の心を 天に向けさせるために 富 澤 誠 治 |