以前の詩

巻頭言
詩の友 第24号 1976年1月

 あけましておめでとうございます。
  詩の友を通してご挨拶ができますことを嬉しく思います。今年も救い主を歌い、信仰を歌い、生活を歌う年であるようにと願うものです。
 東洋人は花鳥風月を歌い、西洋人は、罪とか福音、人間に関心が向けられるといいます。とにかく生活の中の何でも歌にしてしまうことはクリスチャンにとっては信仰告白となるものです。 (こんな巻頭言になっていました。)              

投稿 「松ふぐりの歌」 森 健二

     松かさの
     開きて落ちし
     松の種
     山地に芽生えて
     いつの日か
     常緑大樹と
     なるものぞ

     神に向かいて
     開きたる
     心に落ちし
     一粒の
     ことばに生きし
     人の子も
     やがて輝く
     神の子と
     成り得るものと
     思わずや

     雨降らば降れ
     風も吹け
     望みは失せじ
     育つるは
     いとも尊き
     神のみ手


24号の富澤誠治作

洋らん


     花一輪咲かせた
     それだけのことが
     とてもうれしい

     自分も見て
     友にも見せ
     花をいたわる


うれしい
     人が
     キリストを
     受け入れると
     とてもうれしい

     同信者を生み出し
     神の栄光をあらわす
     人となったのだから


巻頭言
詩の友 第25号 1976年3月

     いわれても いわれても
     わからない
     イエスさまを
     信じることの幸いを
     苦しみに会った時
     いとも簡単に
     イエスさまを受け入れた
     苦しみに会うことは
     よいことなのだろう

 自分の言葉や生活を通してキリスト信者が生まれて行くことは大きな喜びだ。キリスト者は、いつも同信者を生み出す努力をしなくてはいけない。この努力のあるかぎり私たちは喜びと力に満たされるのだ。 (こんな巻頭言になっていました。)
              

投稿 「ねがい」 野畑新兵衛師

百までとわれはいうまじ 主の許しあらばモーゼの年となるまで


「俳 句」  (旨悦) 富澤誠治

冬季オリンピック


     オリンピック持てる健康ほこらしく

     限界にいどむ若人泣き笑い

     栄冠は苦しみに耐え生み出され

     栄冠や苦しみ負かし晴れ晴れと


備前焼

     備前焼両手にいだきながめいて

     なつかしき備前の山野偲びつつ

     いつ見てもあきることなき備前焼

     かざりけをはぶきて気品放ちつつ

巻頭言
詩の友 第26号 1976年5月

     一日のつとめを
     信仰と
     使命に思うと
     小さな小さな
     隠れた仕事でも
     大きな喜びがある

 人には、生きることとつとめがある。それを信仰を持って受け止めて生活することは、クリスチャンに毎日必要なことであり生き方の本分です。 (こんな巻頭言になっていました。)
              

26号の富澤誠治作

東京

     東京の空の下
     墓石のようなビルが並び
     よごれた空気
     人がいても話もできず
     何一つ良いものはない

  そんな中で

     発見
     「キリストにある」それだけのことで
     話ができ
     理解ができ
     いたわりがある
     東京の空の下にも
     すばらしいものがあった

イースター

     人は
     この世を離れる時が
     かならず来る
     妻のために
     子のために
     その日が遅いように…

     思いの中で不安が
     うずまいて
     心をつかんでいる

     心を転じ
     キリストの復活を思うと
     新しい希望があふれてくる


後 記

 豊橋を離れ4月1日から東京の日本同盟基督教団総務局主事として赴任しました。もう二か月にならんとしています。時の流れの早いのに驚きます。二十六号は東京での第一号になります。よき詩集でありますようにお祈りください。 (こんな後記になっていました。)

(この時は病身での赴任であったことを思い出します。)
              

巻頭言
詩の友 第27号 1976年7月

 七月に入り涼しい毎日を過しました。それでもいよいよ暑さが加わることでしょう。暑くなると詩心も失せ勝ちになるかもしれません。しかしこの時こそ神の恵みをつかみ確認しようとすることは大切です。それが詩心を豊かにすることでしょう。この夏もメモ用紙を離さず信仰生活の恵みを歌いましょう。 (こんな巻頭言になっていました。)
              

投稿 「ミルクの天使」 池田勇人師

     ユリカよ
     おとうさんとおかあさんは
     きょうも一日中ずっと
     「ユリカ ユリカ」と叫んでいたよ
     一日のうち何回お前を呼ぶことだろう
     ユリカよお前のことを考えるとね
     天のお父さまのことを思うよ

     十八リットルの石油を雨の中はこんだよ
     手がしびれてしまって字が書けない
     でもユリカのためには何でもしようね

     カゼをひいたユリカは
     クシャミとセキをいっしょにする
     シャックリは泣かないと止まらない
     鼻がつまってクシャミをし
     しゃがれた息づかいの中でセキをする
     主よ こんな小さな生命でも苦しむんですね

     ユリカのセキはとてもかわいい
     でもユリカのセキはとてもかわいそうだ
     夜ユリカを抱いていたら
     ねたまま声を出して笑ったよ

     ボクのウデにだかれながら
     いつしかまぶたをとじるユリカ
     そんなところが天使みたいで
     また泣けばだっこしてしまうね

     ユリカはまだしゃべれない
     ミルクの天使です
     あったかくってやわらかくって
     ちいさな寝息をたてています
     ユリカよお前の胸の中で
     すなおな心と大きな心が
     ひとつになっていきますように ね…


「天国のこと」  富澤誠治

     天国のことを
     聖書は はっきりいっている

     涙も悲しみもない
     イエスさまと共に
     喜びと感謝でいっぱい

     そこで子供が
     ボール遊びをしても
     迷惑にはならない
     のびのびとしておられるだろう

(梅丘での生活のことを思い出します。)


巻頭言
詩の友 第28号 1976年10月

 懐かしい忘れられない言葉がある。
 「わたしはクリスチャンになってから、うそをつく必要がなくなった。こんな幸いはない。」(向後昇太郎先生の言葉ではなかったかと思う。)
 キリストの真実にふれ、真実に生きる道を発見した人の告白であった。詩の友もその作品が真実に満ちたものであるようにと願う。それはキリストの真実にふれつづけることによって確かにされるものだ。 (こんな巻頭言になっていました。)
              

投稿 「阿蘇の旅路」 谷口幸子

真実にいまして大阿蘇の 噴煙は今日も湧き喚くなり

人も木も寄せつけずガス噴きあぐる 地獄の叫びよたじろぎて佇(た)つ

白濛々ガスふきあげて地は叫ぶ 神のさばきをしかとうべなう

若きらを車にのせて下りゆく 阿蘇の旅路は心なごめり

大観峰めぐり来れば草原に 牛らのどかに草はみており

果てしなき阿蘇の山なみに我たちて 造りし神の聖手を拝せり


28号の富澤誠治作

宣教師

     わたしや
     わたしの友が
     キリストを受け入れたのは
     遠い国から
     宣教師(あなた)が
     来てくださったからです

     今では育ってきた
     クリスチャンや
     牧師によって
     キリストを受け入れる人が
     起こされているのです
     心からあなたとあなたを送ってくださった
     神に感謝します


今ナイチンゲール

     「どうですか?」
     職業を超えた
     いたわりをもって
     語りかけ
     ほほえみを残して
     去って行く

     入院したという唯それだけの
     他人にとって
     どれほど支えになることか
     看護婦(あなた)に感謝します

     昔 敵 味方の区別なく
     キリストの愛におし出されて
     看病した
     ナイチィンゲールの
     働きを思い

     今 ナイチィンゲールのいることがうれしい
巻頭言
詩の友 第29号 1976年12月

 "きょうまで守られ来たりし我が身" と始まる聖歌292番を歌うのは大きな喜びです。危険でいっぱいのこの世界の中で、先ず第一にキリストのみ救いにあずかったことは、何といっても最大の喜びです。続いて、
 毎日、守られていることを意識することは、主にある者の喜びです。 (こんな巻頭言になっていました。)
              

投稿 「サマリヤの女」 野畑新兵衛師

飲ませよとのたもう主の声すなり ヤコブの井戸の日盛りの頃

されどわが与うる水はとこしえに 泉となりてわきいづるらん

たのみつるその水がめをあとにして 彼女は叫ぶメシヤ居ますと
   1973年1月 第八号より

百までとわれいうまじ主の許し あらばモーゼの年となるまで
   1976年3月 第二十五号より


米 寿     富澤誠治

     米寿を迎えた人のいる玄関で
     「八十でも希望のあるは青年」
     そんな祝いの言葉を見た
     米寿を迎えられた
     野畑新兵衛先生の歩みは
     キリストに捕らえられたもの
     希望にみちたもの

     その祝いの席で
     先生からもう一つの
     人生を見た

     キリストに在りて生き
     キリストに仕えて生き
     失せ行く人を生かす人生を見た


29号の富澤誠治作

病室の窓から

     病室の窓から
     空を見ていると
     うれしそうに喜んでいるかと思うと
     時には怒りくるい
     悲しそうにしている
     そうかと思うとさびしそう

     人の一生も
     艱難辛苦は
     つきることはない
     けれども
     キリストにある
     それだけのことで
     心に平安が満ちて来る


イエスさまが居られるから

     生活の中で
     「イエスさま」とよびかけると
     不思議なことが起こって来る
     人には知ることもできないほどの
     平安がおとずれる
     それは生きることに
     勇気を与えてくださる
     イエスさまが居られるから


人生の現実

     意見の相違
     生活の仕方の相違
     不調和な
     人生の現実

     キリストによってあらわされた
     愛によって
     解決があり
     調和がある
     これも人生の現実

     わたしやあなたはどちらを
     歩いているのか