以前の詩

巻頭言
詩の友 第14号 1974年1月

 忘れることのできないことが私たちにはある。旧約聖書の登場人物ヤコブは、兄エサウをだまして祝福を奪い取ってしまった。エサウの憎しみを受けたヤコブは自分の生命を守るためにパダンアラムへ逃れた。そこでの二十年の生活の後、故郷へ帰る時のことが創世記三十二章に詳しく記されている。
 ヤコブは、かって兄エサウにしたことの仕返しを恐れて、贈り物を用意したり、自分の集団を二つに分けてエサウの襲撃に備えたりして恐る恐る道を進みました。しかしヤボクの渡しにおいて彼に一大変化が起こった。その時のことが創世記三十二章三十節に、そこでヤコブはその所の名をペニエルと名づけて言った、「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」。(口語訳)と記されているように、忘れることのできない経験の場所をペニエルと名づけた。
 私たちも生活の中に起こる忘れることのできないことを記念碑として詩にあらわすことができるとはなんと幸いなことか、その記念碑としての詩は生涯神をたたえる恵みとなろう。忘れ得ぬこととして心にきざまれるだろう。 (こんな巻頭言になっていました。) 


読後感 「イエス伝詩集」 尾崎安編訳
汝がみずからの心のうちに
             アンゲルス・シレシウス作

     キリスト・ベツレヘムに生(あ)れたもうこと
     千度におよぶとも
     キリスト汝(な)がうちに生れたまわずば
     たましいは なおうちすてられてあり。

     十字架のみ 汝をすこやかにせんに
     ゴルゴダの丘が十字架
     汝が心のうちに立てられずば
     汝がたましいは とこしえにうしなわれてあり。


 この詩には非常な感動を覚えました。三百年も前のドイツ人の詩ですがキリスト者の社会に対する叫びであり、隣人に対する叫びでもあります。昨年のクリスマスは石油危機の中で迎え、町は電気の節約で暗いクリスマスでした。それに加えてキリストなきクリスマスはキリスト者の痛みであり、こころある人は真のクリスマスをと叫んだにちがいありません。

     キリスト汝がうちに生れたまわずば
     たましいは なおうちすてられてあり。


 とはクリスチャンの叫びであったはずです。本年も一年キリストを紹介する年になりますように。 (イエス伝詩集から教えられたようです。 富澤)


14号の富澤誠治作 「新 年」
新年

     竹に節がなく
     木に年輪がなかったら
     弱々しいだろう
     人に暦がなかったら
     新たな決意もないだろう
     クリスチャンの新年は
     強めてくださるキリストにより
     豊かな力に満ちる


小さな箱から

     小さな箱の中で
     食って
     ねているうさぎ

     君は
     小箱から出ると
     とびはねる

     解放されることは
     うれしいんだね
     自由って うれしいんだね

          (この頃はうさぎを飼っていた。  富澤誠治)

              

巻頭言
詩の友 第15号 1974年4月

 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。詩篇23篇1.2節 (口語訳)
 これは羊飼いであったダビデの作です。ダビデは羊が飢えることがないように、こまかいことに気をつけて世話をしました。羊はダビデの手もとに居るかぎり安全でした。この生活の事実の中から、主なる神に対する信頼を経験したのです。 "人は神のみ手にかこまれてこそ平安なのだ" と (こんな巻頭言になっていました。)


読後感 讃美歌作家チャールス・ウエスレーの作品から

     キリストのとうとい御血により
     私のような者がきよめられるとは
     いったいどうしたことだろう。
     私が彼を苦しみに会わせ
     死に追いやったのに。
     驚くべき愛!
     いったいどうしたことだろう
     あなたが 私の神が
     私のために死んで下さるとは。

 (キリストの十字架の意味がわかった時、人はキリストの救いにあずかります。) (チャールス・ウエスレーの作品に心うたれました。 富澤)

お便り

大阪府茨木市 レバノンホーム職員 水田トクヨ先生
 先日は詩の友を送ってくださいまして有難う御座いました。何時もなつかしくまた心楽しく読ませて頂いて居ります。毎日忙しくして居ります私共にとりまして身近な事をうたって居られるのをうらやましく思います。


奈良市 中学校教諭 谷口幸子姉
 きびしい冬も健康を守られて陽春の候となりました。先生御一家には益々御恵みの中に福音の御業のために御励みのことと拝察致します。私の方も何と感謝してよいのやら、その言葉もみつかりません。全く、もったいないもったいないの明け暮れでございます。私共は一度は死んだも同然の体から救い出されて今日、半身(夫)も毎礼拝に欠かさず奈良から放出まで出席できるまでに強めていただきました。この感謝を何か私共でできる仕事があればさせていただきたいと主人は、まだ排膿が続いていますし、私も要観察の体ですが待ち望んでおります。つまらぬ歌、送らせていただきます。もし御病身の方の御励ましにしでもなりましたらと思います。

白墨の微塵沈まらぬ教室に息苦しかり肺小さき身は

この一夜あくれば病夫退院する朝待ちどほし息も消(け)ぬがに

諭しし後いかりいささか残りたり身を傾けて黒板を消す

答案を集めて帰るに主はさやに汝が求道の心いかにと

信仰のおくれたる長男がうれしやなあすは礼拝に出でむと言ふ

すんなりと礼拝に出でむと子が言ひしことばうれしく今朝とくおきいづ

打ち揃ひ礼拝に出づる期きたるただみ恵みのゆえにこそあれ

主よりあずかりしたまものなるぞ十円の電話も報告すべきと思えば

「きづな」  富澤誠治

     いたい いたいよー
     小さな腹をゆびさして
     ゆりちゃんがいっている

     "そうかい そうかい" といいながら
     大きな手が
     さすっている

     それだけで安心して
     目を細めて 親と子の
     ほほえみが
     ぶっかつた


巻頭言
詩の友 第16号 1974年7月

 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。マタイによる福音書6章25節 (口語訳)

 主イエスさまが弟子たちに語られたメッセージの一部分です。生活の現場の中でイエスさまは語ってくださいました。だからそのメッセージは人を生かしました。
 詩も自分の葛藤を詩にたくすことから他を生かす詩へと成長したい。 (こんな巻頭言になっていました。)  
御紹介 「風のつばさに」から 田中光春 著

待つお方

     遥か彼方にではなく
     見えない世界でもなく
     待つお方がいてくださる

     ひらいた窓に秋風のそよぎ
     しずかにふり注ぐ
     日のひかり
     一日 黙し
     蒼ざめた痛哭の胸を広げ
     病める人は
     み衣の裾にとりすがり


16号の富澤誠治作

自然が帰って来た

     朝もやにつつまれ
     かすかな日の光の中に
     自然が帰って来た
     ホーホケケキョ ホーホケケキョ
     なんだか
     なつかしい なつかしい
     声のような気がする
                  1974.5.29.

恐れ

     ひとり
     ひとり
     ひとり
     ひとり
     それだ


平安

     心が
     一点に
     集中して
     離れない
     それだ


痛み

     ああ
     言葉も
     心も
     通じない
     それだ
            1974.4.19.


伝道

     死ぬために
     流されて
     失われて行く者を
     ほおっておくことはあるまい

     流されているよ
     危険だよと
     いわないで
     黙っていることはあるまい

     手をさしのべ
     そこまで足をはこび
     いっしょになって
     流れにさからうのだ

     生命あるクリスチャンは
     滅亡に向かって
     流されなくなったのだから

「後記」 

 二か月に一回は発行をと願って始めたものが三年目にくずれて来ました。しかし投稿される作品、ご献金に励まされて詩の友の発行をしています。
 小冊子ですが主の用と信じています。福音のあかしのために用いられるようにお祈りください。 (始めて後記を載せました。富澤)


 巻頭言
詩の友 第17・18号 1974年12月

 紅葉が美しかった山々も枝のみとなり静かに春を迎える準備をしています。政治の世界は田中首相から三木首相へと移りました。自分では気付きませんが、人は誰でも老いに向かって進行しています。
 そんな変化の中で「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。」(口語訳)ベブル人への手紙13章8節というメッセージは、信じる者にどれほど大きな力を与えることか、変化の中で生きている私たち、しかし変わらないお方に囲まれているとは、なんという安息であろうか。 (こんな巻頭言になっていました。) 

紹介 「もう一つのクリスマスのうた」より
                       オトヴィン・クヴァスト作
     クリスマスをぼくらはさがそう
     ネオンまぶしい何平方メートルの
     そのかげに
     それとも市電の女車掌が
     子どもの声の
     クリスマスの歌をきいて
     ふとぬぐう
     涙の中に
     クリスマスをぼくらはさがそう

 (この詩は、現代ドイツ・クリスマス詩集の中の部分です。変わった詩集ですが購読をお勧めします。)とありました
            

18号の富澤誠治作

ちがい

     右と左 なんとちがうことよ
     白と黒 なんとちがうことよ
     ○と× なんとちがうことよ

     ああ 意見の違ういたみよ

     「ごめん」それが ちがいをちぢめ
     「あいしているよ」それが ますますちがいをちぢめ
     キリストによって ちがいが解消してしまった


耳をすますと

     耳をすますと
     幾種類もの
     虫の声が聞えてくる
     遠く離れた所へは
     行くこともなく
     自分の世界の中で歌っている

     耳をすますと
     文明の音がする
     それが終列車か新幹線の音
     重々しい自動車のエンジン音
     それは広い世界をものにした音だ
     なのに救急車のサイレンも鳴っている

     耳をすますと
     聖書のことばが思い出される
 「はじめに神は天と地とを創造された。」
(口語訳)創世記1章1節
     そこに世界がある
     古くからあったのに今まで知らずにいた
     世界があった