以前の詩

巻頭言
詩の友 第8号 1973年1月

 詩は慰めです。自分の生活を言葉にあらわす。それがすでに慰めです。そればかりか作られた詩を誰かが読む。その読んだ人々が慰められる。詩とはそんなものです。しかし、詩は慰めのみで止まってはならないと考えます。むしろ積極的にキリストを証しする詩へと成長したいものです。
(こんな巻頭言になっていました。)
              
投稿 短歌 故人 野畑新兵衛師

ザ ア カ イ


 繁る葉に姿おうえるザアカイは 一目見ばやとなに桑の木に

 仰ぎ見て主イエスは呼びぬ ザアカイよ急ぎ降りよと大き声もて

 おのが家に主を迎えたるザアカイは その持ち物の半(なか)ば貧者に

 不正なる取り立てあらば四倍に つぐのうべしと彼は誓いぬ

 見出だされ今日立ち帰る神の許 実にありがたきイエスの救


サ マ リ ヤ の 女

 飲ませよとのたもう主の声すなり ヤコブの井戸の日盛りの頃

 されどわが与うる水はとこしえに 泉となりてわきいづるらん

 いまさざるところはあらじ 父なる神拝する時は今ぞ来にけり

 たのみつるその水がめをあとにして 彼女は呼ぶメシヤ居ますと

 目をあげて畑を見よや色づきて 刈り入れ待てる人の多きを

  1972年12月5日 満84歳誕生日
   (先生のご投稿にあらためて感動しました。富澤)

 「生きる」  富澤誠治

     世の中はよいともいう
     世の中は悪いともいう
     なぜ
     意見がこんなに
     分かれるのだろう

     裏切りや
     にくしみや
     悲しみや
     うそが
     なくならないのだろうか
     でも
     一人の真実が
     また
     一人の真実を
     生み出している

     真実な一人を
     生み出す
     真実をいつも生きよう

巻頭言
詩の友 第9号 1973年3月

 花の季節がめぐって来ました。神の造られた世界から多くを学ぶことの出来る季節です。詩心を豊かにして詩作に励みましょう。
 主イエスが「野の花を見よ」「空の鳥を見よ」といわれた言葉から、花や鳥に勝って私たち人間に愛のみ手が加えられていることを教えます。それは短い言葉によってなされました。
 生活の中からあふれた歌が人の心を捕えるのではないでしょうか。それこそあかしの詩なのです。(こんな巻頭言になっていました。)
              
9号の富澤誠治作

安心

     おかあさーん
     おかあさーんと
     何回も何回も呼んでいる ゆり
     はいね はいねと答えている母
     声を聞くだけで
     顔を見るだけで
     安心している ゆり

     霊の父 神さまに
     もっともっとさけぼう
     そうすれば
     聖書によって親しく やさしく
     時には きびしく答えて下さる天の父

     その聖句が心に止まる時
     それで満足
     父の姿は見えないのに
     みことばが心に止まるだけで
     安心なのだ


いのち

     ぽきぽきと
     おんぼうさんが骨を折る
     骨壷に入れるために
     遺族はそれをぼんやりと見ている
     うながされてやっと骨をひろいはじめた

     小さな人の存在
     それを見ると死んでしまえば終わりだと思いたくなる
     当然だろう
     それ程 人は空しい

     しかし
     主イエスさまが語られた
     「わたしはよみがえりであり、命である」(口語訳)
     このことばが
     信じる者の内に燃えてくる
     主イエスさまのいのちが
     信じる者をつつんでしまうのだから


子つばめ

     母鳥が持ってくるえさを
     力いっぱい大きく口を開けて待っている
     子つばめ

     黄色いくちばしを開けて
     食べなければ育たない
     子つばめ

     それを見ていると
     今 自分が何をしなくてはならないか教えられる
     信仰も大きく口をあけて
     みことばを食べなければ
     育たないのだ と

     小さな先生が少なくまってしまったのが
     残念でしょうがない


いのり

     おとうさま
     さびしさがふつふつとこみあげてきます
     悲しみも重くのしかかってきます
     人はみなそうなのでしょうか
     おとうさま
     それを全部知っておられるのですね
     なんでも聞いて下さるのですね
     それがわかると
     おとうさまが
     そっとよりそってくださる
     友のように感じられます
     身近な身近な友のように

 (九号は一人舞台のようでした。富 澤 誠 治)

巻頭言
詩の友 第10号 1973年5月

 内から外へと、出て行く開放された気持が無意識にあふれて来ます。同時に誘惑の多い時でもあります。喜びや悲しみ、心の痛み、それが詩に生れ変りますように作詩された時、それが祈りとなりキリストの勝利に満たされ、それも詩になりますように、そして神のみ名がたたえられますようにと願っています。(こんな巻頭言になっていました。)
              
「投稿  「短歌」  大塚 篤

我とがのつぐないせんと悩みしに 主は悲しくも我を見つめり

とがめをば心に感じ悩みしに 主の深い愛 我をおおえり

主に手足全てを献げ今は居る 聖所のつとめいかに幸なる

 (投稿者は、現在牧師として活躍しておられます。)


 10号の富澤誠治作

それだけの者でした

     イエスさまは
     自分の荷物でない
     大きな大きな
     荷物を
     負われました

     イエスさまは
     自分のものをすべて
     与えつくされました

     それを
     わたしの生き方に
     しようとしたのです
     なのに
     それ程 与えられませんでした
     それ程 負えませんでした
     イエスさま
     わたしは
     やっぱり
     負っていただき
     与えていただく
     それだけの者でした


たくましく

     雪や 寒風の吹く冬は
     根を土の中に深く深く
     のばしているのだろう

     その根に支えられて
     暖かな日差しを受け始めると
     芽を出し葉を出し枝をのばし
     豊かにたくましくなって行く柿

     それを見ていると
     ぶつけられる冷たい言葉にも
     いやでいやでたまらないことの中にも
     反省することをおこたらないで
     聖書の中に深く深く
     根をはろうと心にきめる

     それがたくましくなって行く
     秘訣なのであろう


願い

     人が物になりつつある
     ベットの上で なされるままになって
     もう小さな小さな息しかない
     心臓の鼓動もわずか

     物になりつつある人のまわりを
     せわしく動く人がいる
     看護婦 医師 身近な人 牧師
     それぞれ異なった思いをこめて

     "物になってはいけない"と
     言葉はなくとも
     顔に表わして願っている

巻頭言
詩の友 第11号 1973年7月

 幾多の人々が、生涯の事業として作詩を続けて来ました。それなりに価値あるものだ。書道における芸術作品は素人には、読めないものが多くある。しかし、信仰の詩は読む人が、すぐわかるものでありたい。わかる、それが信仰生活の本命ではなかろうか。(こんな巻頭言になっていました。)
              
投稿 「水曜会の庭」 故安藤仲市師

野鳥飛来緑間枝 庭園百花苔季節 純白一鮮奪客眠 鉄線花色艶而楚

 こころ洗う花鉄線の白きかな
 七月や想いでおおき合歓の花
 河童らの脱衣見守る合歓の陰
 夾竹桃の花より赤きこころもて
 湯上りや団扇に孫の笑顔かな (いつの間にかこんな年になってきた。)
 南国の海想わせるコバルトの 蔦の花咲く伊豆の花駅

 (尊敬する安藤仲市師の投稿に感激したことでした。)

読後感 「たといそうでなくても」 安利淑著

 日本軍のキリスト教弾圧の中で神社参拝を拒否しはげしい迫害をのりこえてキリストを信じる姿勢をつらぬいた女性の体験談。その忠実な信仰に感動すると同時に、まるで詩集を読んでいるような美文に驚きました。

 "イエスの名で
 手錠をかけられたと思うと
 専門学校の卒業証書をもらった時の
 うれしさなどくらべものにならない程
 誇らしかった"

 (キリストに対して、どこまでも忠実でありたいとする心が豊かに豊かに、読んでいる者の心に伝わってきます。是非読まれますようお勧めします。富澤)

 「そっと咲いている」  富澤誠治

     花よ
     君は
     はじらいもせず
     ほこりもせず
     そっと咲いている

     それでいて
     見つけた人に
     わたしのようになれと
     語りかけるように
     感激や
     驚きを
     わき起こさせている

巻頭言
詩の友 第12号 1973年9月

 大空は 故郷に通ず 神の業

 岡山県からアメリカへ移住された方から、詩篇十九篇を書にしてほしいとたのまれ、全部を書くのは大変だと思っている時、思わずうかんできた句です。故郷を離れた人が空を見上げて懐かしむばかりでなく、秋を迎えた私たちも夜空は、すばらしい祝福をもたらします。なぜなら、信仰の父といわれるアブラハムは、空の星を見て、神の約束を確信することが出来たのですから。(こんな巻頭言になっていました。)
              
投稿 「うつし世」 故森 健二

うち仰ぐ夏の夜空の赤き月 大気汚染のいやはてならん

不気味なる赤き月見て我思う 自滅の道を選びしか人

月は血に変わると言いし予言者の 声現われしかこの赤き月

孫の声聞きても心の輝くを 神のことばになど胸踊らざる

うつし世の思い煩い主に委ね 心安けく我は行くなり

鈴虫の音かと怪しみ聞きおれば 何ぞ計らん風鈴の音

投稿 「きみと二人で」 牧童

     きみと
     こうして しゃがんで
     野辺の花をみていたい
     そして
     きみと二人で
     野辺の花に
     なっていたい

 「会話」  富澤誠治

     花にとまった蜜蜂
     君は 何をささやいている

     そのようすを見ていると
     話ができる幸福が感じられる

     話ができないとき 悲しい
     話ができる時 花も蜜蜂もしあわせ

巻頭言
詩の友 第13号 1973年11月

 第十三号 満二周年の記念号をお届けでき感謝します。
 ただ詩を愛し 主キリストを愛する者たちが詩によって肩よせあい、悲しみや痛み、また喜びを共にすることができした。この事実がまだキリストを知らない方々に良い影響をもたらすようにと願って「詩の友」を発行して参りました。これからもそうありたいと願っています。

 ヨハネによる福音書13章34.35節 互に愛し合いなさい。 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。(口語訳)

 (経費節減か手書き孔版印刷に変更されていました。)
 (こんな巻頭言になっていました。)
              
投稿 「友よ帰れ」 柴田 甫

     友よ 帰れ 主の 御手に
     聞こうよ 友よ 主の声を

     友よ 君は はなれて行くのか
     ともよ すくわれ
     ともに よろこんでいたのに
     私は 何だか悲しいよ
     主も み心をいためておいでだよ

     かえろうよ 友よ 主のむねに
     岩山 荒野を
     さがしもとむる主の愛を
     知りて かえれ もういちど

お便り
 富澤先生 私の詩を取り上げていただき大変うれしいです。私は社会より取り残された身障者です。でもイエスさまがいつもとりなしの祈りをもって私をまっててくださることを知り信仰にはげんでいます。詩を書く時は、まよえる人たちが一人でもすくわれるようにと祈りながら書きます。

 (一度もお会いしたことのない方からの投稿でした。富澤)
                                  
 「うれしくて」  富澤誠治

     主イエスさまが
     私に何を求めて居られるか
     わかってきたら
     なんだか うれしくて うれしくて
     聖書の一句が
     身近なものに感じられる